山の中の海軍の町にしきひみつ基地ミュージアム て名前長くない?
にしきひみつ基地ミュージアムは、熊本県錦町にある、かつて旧日本海軍の航空基地があったあたり一帯を指します。メイン施設の人吉海軍航空基地資料館は、滑走路跡地に建てられています。最近になって施設の目的がわかってきた、名実ともに「ひみつ」基地でした。
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にしきひみつ基地ミュージアムは、熊本県錦町にある、かつて旧日本海軍の航空基地があったあたり一帯を指します。メイン施設の人吉海軍航空基地資料館は、滑走路跡地に建てられています。最近になって施設の目的がわかってきた、名実ともに「ひみつ」基地でした。
海軍とフルーツと剣豪の町、熊本県球磨郡錦町の、特産品のご紹介です。錦町には、ほるもん街道とよばれる通りがあります。ランチ時には多くの人が集まっています。完成品を真空パック売りしているお店がありますので、お土産にもいいですよ。
熊本県球磨郡錦町の、ふるさと納税の返礼品をみてみました。私がほしいと思った返礼品をご紹介します。個人的な好みでホルモンが多くなってしまいました。※ 基準は個人の主観であり、何のデータにも基づいていません。
熊本県球磨郡錦町は、いち早く広大な敷地に道の駅を作るなど、観光にも力を入れています。トレンドは「山の中の海軍の町」です。戦中に人吉海軍航空隊基地があったのは、錦町だったからです。以前からのキャッフレーズは「剣豪とフルーツの里」でした。
肥後西村駅(ひごにしのむらえき)は、1924年(大正13年)、湯前線開業当初からある駅です。ホームの反対側の並木は伐採されましたが「しげみ感」はそのままです。1972年(昭和47年)球磨商業高校の新設で通学客の利用が増えました。
新宮寺観音は相良三十三観音霊場の32番札所となります。周辺は樹齢を重ねたモミジやカエデ、イチョウなどがあり、新緑や紅葉のスポットとしても知られています。 観音堂にはそれぞれ違った仏師が、年代を追い彫作した六観音が安置されています。
土屋観音堂は相良三十三観音霊場の31番札所となります。一乗寺は江戸時代が終わるまで続きましたが、明治維新後廃寺となりました。寺院には観音堂と古塔碑が残りました。これが現在の土屋観音堂です。鎌倉時代の聖観音菩薩坐像と平安時代の地蔵菩薩立像が安置されています。
大平渓谷は 清流の渓谷と大平の滝があり、 夏場は涼しさを求めて多くの人が集まるスポットです。渓谷にはキャンプサイトが作られ、アウトドアファンの間では無料キャンプ場として知られています。 予約不要・申込不要というか不可のキャンプ場です。
田んぼをかんがいするための農業用の堰です。正式名称はわかりません。夏目友人帳ファンの方の間では「黒部田野の堰」とよばれているようです。黒部田野というのは、錦町大字西(旧西村(にしのむら))の最南西の地区です。しかも、幹線道路沿いではなく、少し入り込んだ場所にあります。
木本神宮は相良長毎(ながつね)が、市房山神宮参詣が2度にわたり叶わなかったため、岩城跡に創建しました。相良氏が人吉球磨地域に入国する以前、現在の錦町木上地区一帯は、豪族平河氏が本拠地として、勢力を誇っていました。平河氏が居城としていたのが岩城です。
タイ捨流(しゃりゅう)剣法とは、人吉藩相良氏の家臣、丸目長恵(ながよし)通称、丸目蔵人佐(くらんどのすけ)によって創始された兵法です。タイ捨流の「タイ」というのは、東南アジアの国「タイ」とは違います。漢字で書くと「体・待・対・太」が当てはまります。
鎌倉時代、荒田大王神社のある錦町木上地区は平河氏の本拠地でした。平河氏は人吉の地頭として入国した相良氏に「血敷原の戦い」で敗れました。相良長頼は、平河氏の怨霊を鎮めるため、荒田大王神社を造りました。平河氏の遺徳を偲ぶ領民からは、「大王さん」とよばれ祀られたといいます。