城泉寺は在地豪族久米氏が建立したといわれています。
その後も相良氏や民衆の厚い保護・信仰を受けました。
堂舎と石塔群が中世の景観を伝えます。
城泉寺(じょうせんじ)
別名、浄心寺ともいいます。
1915年(大正4年)に仏像が旧国宝に指定された際、誤記されたため城泉寺と表記されるようになったといわれています。
鎌倉時代、この地を支配していたのは豪族久米氏でした。
沙弥浄心(久米三郎真家)が創建したため、浄心寺となったといいます。
江戸時代や明治時代の書物には「浄心寺」と記載されています。
本来は「浄心寺」と表記すべきと思いますが、現在は「城泉寺」とよぶのが一般的になっています。
城泉寺自体はすでになく、阿弥陀堂だけが残されています。
城泉寺阿弥陀堂
ご本尊と同時期、鎌倉時代前期の建物といわれています。
熊本県内に現存する最古の木造建築となります。
1933年(昭和8年)、旧国宝に指定されました。
1950年(昭和25年)、文化財保護法の規定により国指定の重要文化財となります。
七重・九重石塔
城泉寺は境内の 七重・九重の石塔が特徴的な景観を生み出しています。
1933年(昭和8年)、旧国宝に指定されました。
1950年(昭和25年)、文化財保護法の規定により国指定の重要文化財となります。
阿弥陀如来像・両脇侍像
阿弥陀堂にはご主尊である阿弥陀如来像と観音菩薩像、勢至菩薩像の三尊が安置されています。
観音菩薩像の墨書より1229年の作であることがわかっています。
1915年(大正4年)、旧国宝に指定されました。
1950年(昭和25年)、文化財保護法の規定により国指定の重要文化財となります。
槙の木
お寺の敷地内にある槙の木は湯前町指定の天然記念物となっています。
このあたりには、城泉寺と時を同じくして建てられた熊野権現社がありました。
槙の木は熊野権現社のご神木だったのでしょう。
八勝寺(はっしょうじ)
八勝寺は、東方北城(ひがしかたきたじょう)の麓にあったお寺です。
東方(ひがしかた)というのは、現在の湯前町の南西部と多良木町の東部にあった村です。
東方村は1789年に3分割され、湯前村、久米村、多良木村に併合されています。
寺の発祥は良くわかっていませんが、鎌倉時代の寺院跡に建てられたお寺と考えられています。
一時ではありますが、1500年代には相良氏の菩薩寺である願成寺の傘下にあったことがわかっています。
江戸時代になると、普門寺の傘下となっていますが、すでに八勝寺に寺としての機能はなかったといいます。
地域全体として保護に取り組んできた結果、阿弥陀堂が現存しているものと思われます。
八勝寺阿弥陀堂
2002年(平成14年)に阿弥陀堂は室町時代後期の逗子とともに、国指定の重要文化財となりました。
これにより保存修理工事に着工できました。
2014年(平成26年)工事が竣工し、創建当時の姿が蘇りました。
2017年(平成29年)日本遺産人吉球磨の構成文化財に追加されています。
木造阿弥陀如来像と両脇侍像
両脇侍像の墨書から1490年の造立ということがわかっています。
熊本県指定の重要文化財となっています。
まとめ
城泉寺と八勝寺は、過去の歴史は異なりますが、すぐ近い場所にあります。
どちらも中世の景観を現在に残し、寺は失っても阿弥陀如来像と阿弥陀堂を残している点で共通しています。
そのため、日本遺産人吉球磨の構成文化財として一括して28番の登録となっています。