木崎原古戦場 九州南部の分け目となった木崎原の戦い
木崎原(きさきばる)古戦場というのは、戦国時代に薩摩島津氏と日向伊東氏が戦った戦場です。木崎原の戦いは、のちの2国のパワーバランスを大きく動かしています。そのため、九州の「桶狭間の戦い」とか「関ケ原の戦い」といわれています。
木崎原(きさきばる)古戦場というのは、戦国時代に薩摩島津氏と日向伊東氏が戦った戦場です。木崎原の戦いは、のちの2国のパワーバランスを大きく動かしています。そのため、九州の「桶狭間の戦い」とか「関ケ原の戦い」といわれています。
出の山(いでのやま)公園というのは、宮崎県小林市にある出の山池を中心とした公園です。地元民が水汲みに訪れるホタルの名所ですが、昔から観光地として知られています。出の山淡水魚水族館は、淡水魚マニアの方なら絶対楽しめます。
享保(きょうほ)水路太鼓橋というのは、宮崎県えびの市にある石橋です。農業かんがい用水を、対岸に渡す水路の役割を果たします。享保水路は、川内川の上流域から取水し、飯野の田園をかんがいする用水路です。
三之宮峡というのは、宮崎県小林市にある渓谷です。34万年前の加久藤カルデラ大噴火でできた溶結凝灰岩が、 浜ノ瀬川の浸食を受けできた渓谷となります。かつての森林軌道跡は遊歩道になっていて、特徴的な見どころが連続します。
めがね橋というは、宮崎県えびの市にある、月の木川橋の通称です。川内川上流域から木材を搬出していた、森林鉄道飯野線のトロッコ軌道のためにかけられた橋です。現在も歩いて渡ることができますが、欄干の低さにビックリします。
軍谷隧道(いくさだにずいどう)は、宮崎県小林市の軍谷峠を越えるトンネルです。九州を代表する酷道(国道)265号線の、さらに旧道区間にある現役トンネルです。軍谷隧道完成前の軍谷峠は、小林市と須木村の間にある難所でした。
吉牟田分校というのは、かつて宮崎県えびの市にあった、大河平小学校の分校です。閉校後は公民館やキャンプ場となり、すでに半世紀を迎えようとしています。4級と高いレベルのへき地ですが、今なお集落は現存しています。
小林共立自動車学校というのは、かつて宮崎県小林市にあった、県指定自動車教習所です。構内では雄大な霧島連山をながめながら、自動車教習が行われていました。2008年 (平成20年)に廃止され、その遺構もなくなりつつあります。
クルソン峡というのは、宮崎県えびの市にある渓谷です。川内川(クルソン川)沿いに、100mに及ぶ高さの断崖が見られ、10kmに及ぶ谷深い渓谷が続く秘境です。2020年(令和4年)現在、えびの市側から行くことはできません。
水流(つる) 天満宮は、宮崎県えびの市にある神社です。水流(つる) 天満宮は通称であり、正式には菅原神社といいます。神社そのものよりも、田んぼの中にポツンと立つ鳥居で有名です。えびの市の観光資源として、パンフレットやSNSでみかけます。
加久藤峠の室内温水プール跡というのは、宮崎県えびの市にある室内温水プール跡の建物です。営業当時の詳しい情報はありませんが、室内温水プールの開業は1970年代の後半といわれていて、一般国道221号線の全盛期と重なります。
加久藤城は、かつて宮崎県えびの市にあった中世城です。真幸院(まさきいん・現在のえびの市)加久藤郷を治めていた、北原氏が築城した平山城となります。薩摩藩領となった後は、島津義弘公の妻と長子が住んでいました。