寒川小中学校 集団離村により廃村となった寒川集落の学校
寒川(さぶかわ)小中学校は、かつて宮崎県西都市にあった公立学校です。 1978年(昭和 53年)に閉校しています。 のちに寒川は、集団離村により住民もいなくなりました。集落跡には、現在も建物が点在するのを見ることができます。
宮崎県のイメージはなぜか、南国で海になりがちですが、東部に険しい九州山地を持ち秘境の宝庫です。ろくすっぽ道もなかった昔から、水資源に注目されていて、水力発電所が多く「水力王国」とよばれたこともありました。マイナースポットが山ほどある魅力的なところです。
寒川(さぶかわ)小中学校は、かつて宮崎県西都市にあった公立学校です。 1978年(昭和 53年)に閉校しています。 のちに寒川は、集団離村により住民もいなくなりました。集落跡には、現在も建物が点在するのを見ることができます。
串間神社は、宮崎県串間市にある神社です。 主祭神は、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)となります。海幸山幸の神話で、山彦幸のモデルとされる神さまです。海幸山幸は、浦島太郎のもとになった神話です。
梅ヶ浜は、宮崎県日南市にある海岸です。サーフィンスポットとして知られています。海岸には波の浸食で変わった形をした岩が並ぶ景勝地です。奇岩のひとつは「ライオン岩」とよばれています。見る角度によって座っているライオンのように見えるためです。
広渡(ひろと)ダムは、宮崎県日南市北郷町にある重力式コンクリーダムです。下流にある北郷町や日南市街を洪水から守るためにつくられたダムになります。ダム本体沿いに資料館があるほか、上流のレイクサイド公園にあるウォータースライダーつきの河川プールで楽しめます。
榎原神社(よわらじんじゃ)は、宮崎県日南市南郷町にあり、楼門と鐘楼が特徴的な神社です。当時、神女として崇められていた、内田萬寿姫の進言で、飫肥藩第3代当主・伊藤祐久が鵜戸神宮より勧請したもので、飫肥城の鎮守社でした。縁結びのパワースポットとして有名です。
神柱宮(かんばしらぐう)は、宮崎県都城市にある神社です。通称は「おかんばしら」となります。太宰府より移住した平季基が、島津荘開発のため伊勢神宮より勧請したのが神柱宮です。以来島津荘の総鎮守として都城とともに発展し、今や市民にとってなくてはならない神社となっています。
志布志線は、かつて西都城駅から志布志駅を結んでいた国鉄のローカル線です。宮崎県第 2位の産業都市・都城と重要港湾都市・志布志を結ぶ重要な役割を持った路線でしたが、その役割を自動車に譲っています。廃線後30年を超えた現在の各駅の状況を見てみました。
宮崎県の神社を一覧表にしてみました。日向国は天孫が降臨し、神武天皇が東征するまでのゆかりの地です。そのため有力パワースポットが多く、「神話の里・宮崎」というキャッチコピーが生まれるほど、数多くの神話が語り継がれています。
大御神社(おおみじんじゃ)は、宮崎県日向市にある神社です。「日向のお伊勢さま」とよばれ親しまれています。なんといっても、特筆すべきはその景色です。日向灘沿いにある境内からは、太平洋が一望できます。ラグビーワールドカップ日本代表が必勝祈願をした神社として、話題になりました。
特攻百二十一震洋隊細島基地跡は、宮崎県日向市にある戦争遺構です。全国にあった特別攻撃艇「震洋」の出撃基地のひとつとなります。近くに「黒田の家臣」「御鉾ヶ浦公園」「御鉾ヶ浦海水浴場」「御鉾ヶ浦公園キャンプ場」があるので、日向観光のついでに訪れるといいスポットです。
美々津(みみつ)というのは、宮崎県日向市の美々津町のことを指します。神武天皇が東征に立たれた場所と伝えられます。国の伝統的建造物群保存地区に選定されている町並みは、町民の生活の場でありながら観光地になっています。さらに日本海軍発祥の地とされています。
立磐神社は、宮崎県日向市美々津町にある神社です。社地は神武天皇が東征へお船出の際、戦勝と航海の安全を祈願した場所といわれています。西暦85年に創祀されたと伝えられ、境内には古い時代に納められた石碑や、苔むした岩がありその歴史を感じられます。