北方町役場とは、かつて宮崎県北方町 (現在の延岡市) にあった、役場のことです。
現在は、延岡市の北方総合支所になっています。
北方町
北方町といのは、かつて宮崎県東臼杵郡にあった地方自治体です。
2006年 (平成18年)に、北浦町とともに延岡市に編入合併したため、地方公共団体としては消滅しています。
合併前の北方町は、「日本唯一の干支の町」 がというのがキャッチフレーズでした。
干支の町
干支というのは、十二支のことです。
1889年(明治22年)、発足時に大字のなかった北方村は、地域名を干支に割り当てています。
戸長役場のあたりを子(ね) として、時計回りに亥(い)まで命名しました。
これは、当時の戸長が延岡藩の天文測量士の子孫だったことが影響しているといわれています。
干支の住所は、延岡市との合併後の住所表記にも残されています。
延岡市北方総合支所
北方町役場は、合併によりその役割を終えたわけではありません。
旧町域は地方自治法上の地域自治区となり、旧庁舎は延岡市の北方総合支所となりました。
現在も、延岡市の行政機関としての機能を備える現役庁舎です。
関連記事
【関連記事】城小学校 延岡市最西端にあった五ヶ瀬川のほとりの学校
【関連記事】美々地小学校 銅山の盛衰とともに歩んだ渓谷の学校
【関連記事】槙峰鉱山 にわか廃鉱マニアとして訪れた銅山の感慨深い遺構群