日本が戦争を体験してから、80年近く経とうとしています。
![知覧特攻平和会館](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
戦時下を生で体験した方にとっても遠い過去の記憶となり、またその人数も少なくなってきています。
![](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
そんななか、戦争遺構が見直されてきたのは、その歴史を見たままに後世に伝える物証だからです。
熊本県
![荒尾二造 変電所跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
荒尾二造というのは、東京第二陸軍造兵廠荒尾製造所の略称です。
![荒尾二造跡地 施設案内板](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
旧日本陸軍の巨大な火薬工場で、荒尾市街となった現在もその遺構を確認することができます。
飛行場や砲台などのように、直接交戦を目的とした軍事遺構とは少し異なりますが、戦争遺構として並べておきます。
![菊池飛行場 高架給水塔](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
菊池飛行場は、熊本県最大規模の陸軍飛行場でした。
![菊池飛行場 正門](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
終戦を迎えた後は、引揚者や復員兵らの開拓地として払い下げられ、現在は住宅地になっています。
しかし、現在も飛行場の遺構として残る構造物を確認することができます。
![黒石原飛行場奉安殿跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
陸上自衛隊の黒石原演習場あたりは、明治時代からの陸軍の演習場でした。
![黒石原飛行場奉安殿跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
戦中には飛行場や傷痍軍人療養所などが集積する、一大軍事施設となっています。
奉安殿(ほうあんでん)跡が唯一、見学可能な遺構です。
![隈庄飛行場跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
隈庄(くまのしょう)飛行場というのは、熊本県杉上村(現在の熊本市南区)にあった、旧日本陸軍の飛行場です。
![隈庄飛行場弾薬庫跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
遺構として残っているのは弾薬庫だけになっていますが、大戦終盤には四式重爆撃機「飛龍」で編成された第110戦隊の基地として使われていました。
![人吉海軍航空隊飛行場隊門](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
熊本県南部には、開戦時こそ軍事基地はありませんでした。
![人吉海軍航空隊 隊門](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
しかし、長引く戦争は消耗戦を呈し、航空要員の増員を迫られています。
![人吉海軍航空基地 地下魚雷調整場](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
さらに、米軍の日本本土上陸作戦に備え、艦砲射撃の届かない内陸部に海軍航空基地がつくられました。
![山の中の海軍の町にしき ひみつ基地ミュージアム](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
それが、人吉海軍航空基地です。
![山の中の海軍の町にしき ひみつ基地ミュージアム ポスター](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
脚光を浴びはじめたのはつい最近です。
宮崎県
![川南陸軍挺進練習部 給水塔](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
宮崎県には、実戦部隊を養成するためにつくられた施設が多くあります。
![新田原陸軍航空基地 掩体壕](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
真珠湾攻撃の急降下訓練や、南方戦線に展開する落下傘部隊の訓練は、宮崎県の基地で行われています。
![六野原飛行場のトーチカ](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
現在の宮崎ブーゲンビリア空港は、終戦までは九州最大の航空基地でした。
![宮崎海軍航空基地 本郷二号掩体壕](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
いずれも積極的に観光資源として使われていません。
![宮崎海軍航空基地 弾薬庫](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
しかし、当時をしのばせるには十分な保存状態で保護されています。
鹿児島県
![国分海軍航空基地 国分第一飛行場 掩体壕](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
特別攻撃がはじまると、鹿児島県の各航空基地は、その発進基地として使われるようになります。
![内之浦海蔵集落の要塞](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
その壮絶な歴史を語り継ぐうえで、視覚的に訴えるのが遺構や遺品です。
![笠ノ原航空基地 掩体壕](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
特に知覧特攻基地は、いちはやく遺品の集約と保護に取り組んだため、全国に知られる観光資源となりました。
![出水海軍航空基地 地下司令室](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
仮に日本が降伏しなかった場合、宮崎海岸(宮崎)、志布志湾および吹上浜(鹿児島)の3地点から上陸作戦が展開されるはずでした。
![万世特攻平和祈念館](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
そのXデーは、1945年(昭和20年)11月1日に迫っていました。
![まのひ(青戸)飛行場 トーチカ](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
日本軍も当然、本土決戦を覚悟しており、九州南部への米軍上陸に備えていました。
鹿児島県の戦争遺構は、終戦期につくられたものが多いのが特徴です。
まとめ
![宮崎特攻基地慰霊碑の旗](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
すべての戦争遺構が同様に整備されているわけではありません。
![都井岬海軍レーダー基地](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
中には離合できない道しかないスポットや、駐車場から数十分歩く必要があるところもあります。
![指宿海軍航空基地哀惜の碑](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
多くの方が訪れることで整備が進み、後世に語り継がれていくことを望みます。
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