万世特攻平和祈念館 吹上浜の松林にあった陸軍航空基地

万世特攻平和祈念館は、万世陸軍飛行場があった、鹿児島県南さつま市に建てられた戦争資料館です。

万世飛行場に関わり、戦死した201名のご英霊を祈念しています。

幻の万世飛行場

万世飛行場は、大戦末期となる1944年(昭和19)年に建設されました。

日本陸軍が、吹上浜の松林の中に、秘密裏に急造した飛行場です。

飛行場として使用されたのは、わずか4ヶ月間でした。

万世飛行場跡には、当時の記録はほとんど残されませんでした。

苗村七郎少尉

苗村七郎少尉というのは、万世飛行場の第66戦隊の隊員です。

終戦後、同胞の死を悼み全国を墓参行脚するうちに、遺族の方から遺書や遺品を託されるようになります。

現地の資料が乏しかった万世飛行場跡に、祈念館が建てられのは、苗村七郎少尉の大きな功績があったからです。

建物はもちろん、航空機をイメージしたデザインです。

屋根は人が手を合わせた姿と、航空機が飛び立つイメージを表し、末広がりになっています。

展示資料

幻の飛行場といわれただけあって、万世飛行場の資料などは公的には数少ないものでした。

万世特攻平和祈念館に展示されている資料は、ご遺族の方などが大切に保管していたものです。

1階はほぼ、零式水上偵察機の展示スペースになっていて、写真を撮ることができます。

2階の主な展示物は、隊員たちの遺影や遺品になっていて、撮影することはできません。

開館時間9:00~17:00(入館は16:30まで)
休館日12月31日・1月1日
入館料大人(高校生以上) 310円
子供(小・中学生) 210円

子犬を抱いた少年兵

万世飛行場を語るうえで、有名な写真です。

1945年(昭和20年)5月26日に撮影されたものです。

写真の隊員たちは、翌日特別攻撃のため、沖縄に出撃したことがわかっています。

犬を抱いているのは、荒木幸雄伍長です。

アメリカ海軍の駆逐艦「ビケット」と交戦し戦死しています。

享年 17歳でした。

万世飛行場に関わった航空機

万世飛行場に配備されたのは、大日本帝国陸軍の航空機です。

九九式襲撃機

九九式襲撃機というのは、日本陸軍の攻撃機、略称 99襲です。

本来、地上部隊の航空支援を想定して設計された航空機です。

超低空飛行と急降下の操縦性が優れているといわれています。

実用性が高いうえ故障が少なかったため、南方戦線で大活躍しています。

万世飛行場での沖縄作戦、つまり特別攻撃では、主力航空機として配備されました。

万世飛行場で特別攻撃に投入された120機のうち、99襲は90機でした。

二式高等練習機

旧式化しつつあった97式戦闘機を改造して、高等練習機に転換した機体です。

操縦性がよく、整備も簡単だったため、部隊からは好評で、終戦まで使われました。

敵機迎撃では実戦でも使われ、特別攻撃にも使われています。

万世飛行場から特別攻撃に飛び立った、2式高練は21機でした。

一式戦闘機

一式戦闘機の愛称は「隼」です。

一式戦闘機 隼

一式戦闘機 隼 Wikipedia

大戦中の陸軍の主力戦闘機です。

万世飛行場から特別攻撃に発進した隼は、21機でした。

一式戦闘機 隼 艦これ

© since 1998 DMM

九七式戦闘機

九七式戦闘機は、略称97戦とよばれ、旋回性能に優れ格闘戦が得意でした。

九七式戦闘機

九七式戦闘機 Wikipedia

1940年(昭和15年)当時は、陸軍の主力戦闘機でした。

万世飛行場から特別攻撃に発進した97戦は、1機です。

三式戦闘機

三式戦闘機は、大戦中に量産された唯一の液冷戦闘機です。

三式戦闘機 飛燕

三式戦闘機 飛燕 Wikipedia

略称は3式戦、愛称は「飛燕(ひえん)」です。

日本初の液冷エンジンを積んだ戦闘機ということもあり、整備には苦労していました。

万世飛行場には、特別攻撃としてではなく、第55飛行戦隊の所属機として配備されました。

三式戦闘機 飛燕 艦これ

© since 1998 DMM

零式水上偵察機

零式水上偵察機、略して零式水偵は、日本海軍で採用された名機です。

水上機は、島国である日本で独自に発展してきたため、世界に誇る名機が生まれています。

万世飛行場に展示される零式水偵は、福岡の糸島基地を発進し、沖縄方面の索敵任務に着いていました。

途中、敵機の追撃に遭い、なんとか逃げ延びましたが、燃料切れで吹上浜沖に墜落していました。

搭乗員3名は、無事に吹上浜に上陸しています。

展示機は、海中で砂に埋もれていた機体を引き揚げたものです。

零式水上偵察機 11型乙 艦これ

© since 1998 DMM

慰霊塔

玄関の前にある慰霊塔の像は、特攻隊員がモデルです。

慰霊碑は隊員たちが目指した戦地、沖縄の方に向けて建てられています。

慰霊碑の正面には、沖縄から移植された一本のマツが植えられています。

万世飛行場は、もともと吹上浜のクロマツ林だったのですが、よく見ると一本だけ枝ぶりが違うのがわかります。

内地のマツが縦に伸びるのに対して、風が強い沖縄のマツは枝が横に広がっています。

また、像の隊員の顔をよく見ると、東のほうを向いているのがわかります。

万世飛行場から、遠く東にある故郷を向いているのです。

慰霊碑の名前は「よろずよに」です。

旧万世町が、万之瀬川と加世田から名付けた、「万世」が意味する「永久に変わらず続く世」のことです。

敵機の爆撃で亡くなった、地区の作業隊員13名のことも忘れてはなりません。

営門跡

営門跡というのは、県道20号線(南薩横断道路)沿いにある、万世陸軍航空基地の正門です。

武装した衛兵が、24時間立哨していた場所です。

裏門跡

裏門跡というのは、現在鹿児島県立薩南病院となりの、国有林内にある万世飛行場の裏門のことです。

資材搬入などの軍用トラックの出入口として使われていました。

裏門の先は完全にヤブの中ですが、当時はトラックが通れる道がつながっていました。

万世飛行場の数少ない遺構のひとつです。

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場所 鹿児島県南さつま市加世田高橋1955-3

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