鹿屋航空基地は、鹿児島県鹿屋市にある海上自衛隊の航空基地です。
一般の方は基地に入ることはできませんが、史料館を併設していて見学することができます。
鹿屋飛行場
鹿屋飛行場は、1936年(昭和11年)に、鹿屋海軍航空隊の基地としてつくられています。
大戦中には司令部が置かれた、重要な基地でした。
また、終盤には特別攻撃隊の出撃基地となったことでも知られます。
戦後は海上自衛隊が引き継ぎ、鹿屋航空基地として使われる現役の飛行場です。
ICAO空港コードはRJFYとなっています。
鹿屋航空基地史料館
鹿屋航空基地に入ることはできませんが、海上自衛隊の広報のため史料館が併設されています。
史料館では、戦前の鹿屋基地時代からの資料を見ることができます。
2階など資料館内は、撮影禁止になっている区域があります。
開館時間 | 9:00~17:00 |
定休日 | 12月29日~1月3日 |
入場料 | 無料 |
電話番号 | 0994-42-0233 |
場所 | 鹿児島県鹿屋市西原3丁目11-2 |
ホームページ | 【公式】鹿屋航空基地史料館 |
修復された、零式艦戦52型の姿を見ることができます。
鹿屋市観光物産総合センター
鹿屋市観光物産総合センターは、史料館の駐車場にある鹿屋市観光協会の施設です。
物産館では、海上自衛隊グッズが買えます。
海上自衛隊の食事といえば、何はともあれカレーです。
お腹がすいてない人は、鹿屋基地だけではなく全国各基地のレトルトカレーが買えます。
展示機
史料館の周りには、退役した機体が並べられていて、近くで見ることができます。
展示機は入替がありますので、次の訪問時に同じラインアップであるとは限りません。
二式大艇
大戦中製造された、H8K「二式飛行艇」の、世界唯一の現存機となります。
とても80年前の飛行艇とは思えない、大きく美しい機体です。
現役の名機「US-2」の大先輩機なので、同じ雰囲気があります。
US-1A おおとり
US-1A「おおとり」は、1976年(昭和51年)から運用された、国産の水陸両用救難飛行艇です。
3mもの波があっても着水できるほか、短い距離で離着陸できます。
そのため海難救助で大活躍をしてきました。
P-2J おおわし
P-2J「おおわし」は、1969年(昭和44年)から導入された対潜哨戒機です。
ちょうど潜水艦の動力が、原子力になりはじめた時期に重要な役割を果たしました。
そのため海上自衛隊では「栄光の対潜哨戒」と評されています。
P2V-7 おおわし
P2V-7「おおわし」は、海上自衛隊が発足して間もない、1955年(昭和30年)から配備された対潜哨戒機です。
世界的にはロッキード社のベストセラー機です。
しかし、海自が運用し始めた時期には前時代的な性能になりつつあり、評価は高くありませんでした。
KM-2 こまどり
KM-2 「こまどり」は、1962年(昭和51年)から運用されていた、海自の練習機です。
対潜哨戒機などの大型機のパイロットも、必ず最初は練習機で訓練をします。
そういう意味では実戦にこそ出ませんが、パイロットを養成するうえで重要な機体でした。
B-65 クインエア うみばと
B-65 クインエア「うみばと」は、1962年(昭和37年)から運用された練習機です。
多発機パイロットの計器飛行訓練に使われていました。
空自の管理委託機であったものは、1980年(昭和55年)に空自に返却されています。
S2F-1 あおたか
S2F-1「あおたか」は、1957年(昭和32年)から導入された対潜哨戒機です。
本来はグラマン社の、艦上機なのですが、日本には空母はありません。
そのため陸上機として運用されました。
T-34 メンター
T-34 メンターは、海自発足前の海上警備隊に、1953年(昭和28年)から導入された連絡機および練習機です。
米ビーチクラフト社の名機で、メンターというのは「良き助言者」「優れた指導者」という意味です。
海自発足後は、「はつかぜ」という愛称でしたが、「メンター」という愛称が定着しています。
R4D-6Q まなづる
R4D-6Q「まなずる」は、1958年(昭和33年)に、アメリカ軍から供与された輸送機です。
1940年(昭和15年)から米ダグラスエアクラフト社が製造するC-47がベースで、生産数はなんと10,000機以上です。
現在も一部の国では現役で使われています。
SNB-4 べにばと
SNB-4は、1957年(昭和32年)に、米軍から供与されたダグラス社製の双発機です。
発足間もない海上自衛隊では、練習機として使われました。
愛称は「べにばと」です。
OH-6J
OH-6Jは、1966年(昭和41年)から運用されている、米ヒューズヘリコプター社製の小型ヘリコプターになります。
海自の導入目的は練習用で、一部連絡用に使われていました。
艦載機としての導入も検討されましたが、実現しませんでした。
KV-107Ⅱ しらさぎ
KV-107Ⅱ「しらさぎ」は、1963年(昭和38年)から導入された汎用中型ヘリコプターです。
海自では機雷掃海ヘリコプターとして、すべて海上機雷掃海部隊に配備されています。
「しらさぎ」という愛称でしたが、米バートル社製のヘリであるため「バートル」ともよばれていました。
HSS-2A ちどり
HSS-2A「ちどり」は1960年(昭和35年)就役の、対潜哨戒ヘリコプターです。
米シコルスキーエアクラフト社製の軍用ヘリコプターです。
海上自衛隊では、対潜ヘリコプター部隊の礎を築いた機体と評価されています。
ベル47G-2A
ベル47G-2Aは米ベルヘリコプター社の、多目的軽ヘリコプターです。
1946年(昭和21年)から製造運用される、初期の民間用ヘリコプターのベストセラーとなります。
1952年(昭和27年)保安庁警備隊時代から導入をはじめています。
魚雷
旧海軍が使っていた九三式酸素魚雷は、航跡が見えにくく爆発力が大きな優れものでした。
航空機の部品
旧海軍の航空機の部品が展示されていますが、いずれも海中から回収されたものです。
零式艦上戦闘機21型
ゼロ戦21型のプロペラとエンジンです。
近海に沈んでいたのを、漁師さんが引き揚げたものです。
艦上攻撃機天山
艦攻「天山」のプロペラです。
同じく近海に没していたものを、漁師さんが引き揚げています。
局地戦闘機紫電改
当時の最新鋭戦闘機「紫電改」のエンジンです。
少し遠く、宮崎県北部の太平洋に沈んでいたものです。
まとめ
鹿屋基地は、航空機マニアやミリタリーマニアにとっては、聖なる場所です。
しかし基地の戦前からの歴史や、近代の安全保障を学べる場所でもあります。
単に観光目的で訪れても、航空機という非日常が体験できる楽しいスポットです。
そして、有事には我が国を守るために機能する施設であることを忘れてはいけません。
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