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鹿児島県

鹿児島県は日本本土の最南端にありながら、近世の日本を動かす人材を輩出しています。 観光にも力を入れていて見どころ満載です。 九州の中でも独特のイントネーションを持つ鹿児島弁の会話を聞くと、まるで異国にいるようです。

神貫神社 拝殿の眠り猫と垂水の田の神一号

神貫神社(かみぬきじんじゃ)は、鹿児島県垂水市にある神社です。大隅隼人の氏神で、当時は垂水一帯が社領地でした。のちに手貫神社との争いに敗れ、新城が社領となります。拝殿には、日光東照宮を彷彿とさせる眠り猫の彫刻が見られるほか、鳥居の横には垂水の13柱の田の神で最も古い、田の神1号を見ることができます。

まのひ飛行場 トーチカの残る未完成飛行場

まのひ飛行場は、鹿児島県南九州市頴娃町にあった、旧日本陸軍の飛行場です。地名から、青戸飛行場とか上別府飛行場ともよばれていました。跡地は農地となり空港の面影はありませんが、米軍上陸に備えてつくられたトーチカが残っています。トーチカは戦後75年を経過した今も、しっかりと原形をとどめたままです。

薩摩川内市の南方神社 南九州の諏訪大社

南方神社のご祭神は、長野県の諏訪大社と同神です。本記事では、鹿児島県薩摩川内市にある、3つの南方神社について書いています。高江町の南方神社は、春祭りの太郎太郎踊り。湯島町の南方神社は、並立鳥居。向田町の南方神社は、島津義久公と義弘公のゆかりの地で知られています。

福沢小学校 百有余年福沢の子らが学んだ証拠

福沢小学校は、かつて鹿児島県霧島市福山町にあった公立小学校です。40年近く前に閉校し、校舎こそ残っていませんが、広い跡地には多くの学校遺構が残されています。閉校記念碑に刻まれた文字は、「百有余年 福沢の子ら この地に学ぶ」です。

丸木浜 リアス式海岸の入江に広がる海水浴場とキャンプ場

丸木浜は、鹿児島県南さつま市坊津町にある海岸です。リアス式海岸で名高い坊津町ですが、丸木半島の付け根には砂浜が広がっています。丸木浜は、夏になると海水浴場として開放されます。オフシーズンこそひっそりしていますが、シーズンになると大勢の人が詰めかけます。丸木浜キャンプ場は、海水浴シーズンに合わせた期間限定営業です。

知覧線と万世線 南薩鉄道の古い廃線の駅跡

南薩鉄道というのは、かつて鹿児島県にあった私鉄です。南薩鉄道といえば、薩摩半島の西岸を縦貫していた枕崎線が有名です。しかし、過去には知覧線と万世線という東西に走る路線がありました。いずれも半世紀以上前に廃線となっていて、遺構らしい遺構は残っていません。

松ヶ浦シーサイドパーク 四角場浜の石灰焼釜

松ヶ浦シーサイドバークは、鹿児島県南九州市にある公園です。この海岸を四角場浜といい、明治時代まで使われていた石灰焼釜(へやっがま)を見ることができます。へやっがまというのは、海岸でとれたサンゴ石を原料に石灰をつくっていた釜のことです。しかし、へやっがまは砂とヤブに覆われ、一部を残して秘密のベールに包まれています。

本戸小学校 国分川内の山間に残る木造校舎

本戸(ほんど)小学校は、かつて鹿児島県霧島市国分川内にあった公立小学校です。1981年(昭和56年)の閉校後は本戸公民館となりました。敷地内には当時の木造校舎の一部が保存され、学校の雰囲気が大事に残されています。

郡山八幡神社 歴史に残る焼酎好きな大工の落書き

郡山八幡神社は、鹿児島県伊佐市にある神社です。「けちんぼ座主が焼酎も飲ません」という、焼酎落書きで有名です。1954年(昭和29年)に本殿の復元工事をした際、木片に書かれた大工の落書きがみつかりました。そのため愛称は「焼酎神社」となっています。

大隅半島の戦争遺構 本土決戦に向けて築かれた軍事施設群

九州南部には、大戦終盤になると米軍の上陸作戦に備え、多くの軍事施設がつくられました。大隅半島には、終戦後75年を経過した現在も、その遺構が数多く残されています。遺構群は、我が国を守るために戦った戦没者や遺族の想いを振り返らせてくれます。そして何より、同じ悲劇を繰り返さないために活かされています。