宮地岳小学校 道の駅宮地岳かかしの里として再生し教室を開放
宮地岳小学校は、かつて熊本県天草市にあった公立小学校です。現在は、道の駅になっていて、往時の教室に入ることができます。宮地岳町の地域おこしの象徴が「かかし」 であり、宮地岳小学校には、たくさんの「かかし」がいます。
宮地岳小学校は、かつて熊本県天草市にあった公立小学校です。現在は、道の駅になっていて、往時の教室に入ることができます。宮地岳町の地域おこしの象徴が「かかし」 であり、宮地岳小学校には、たくさんの「かかし」がいます。
仏木坂(ふっきざか)というのは、熊本県苓北町にある古戦場です。現在は天草下島北部広域農道、通称オレンジロードの一部になっています。天草国人一揆で敗れた、天草五人衆一族の怨念が集まるとウワサされます。
おっぱい岩というのは、熊本県苓北町にある奇岩です。その名の通り、おっぱいの形をしているとても不思議な岩です。近くで見るためには干潮時に行く必要があります。見た目はふくよかで弾力がありそうですが、岩なので固く本物のおっぱいの感触はありません。
栖本(すもと)取訪神社は、熊本県天草市にある神社です。天草島原の乱の後、天草は天領(幕府の直轄地)となります。1645 年に初代代官として天草へ入った鈴木重成公が、天草全島の祈願所として、栖本城跡のふもとに建立したのが栖本諏訪神社です。
野釜分校は、かつて熊本県天草郡大矢野町にあった上小学校の分校です。野釜島は、大矢野島の西側に位置し有明海に浮かぶ小島ですが、1997年(平成9年)までは、島に小学校の分校がありました。現在は、野釜生涯学習センターとなっています。
樋合小学校は、かつて熊本県上天草市松島町にあった公立小学校です。天草諸島の離島・樋合島にあった小学校ですが、現在は船を使わずに行くことができます。2010年(平成22年) の閉校から10年以上経ちますが、跡地ではほぼ手付かずの遺構を見ることができます。
河内(かわち)小学校は、かつて熊本県天草市栖本町(すもとまち)にあった公立小学校です。閉校後も、樹木の手入れが行き届き美しい景観を保っています。校舎は栖本地区コミュニティセンターになり、今なお地域の方がたが大事にしていることがよくわかります。
浦和小学校は、かつて熊本県天草市にあった公立小学校です。閉校後間もない校舎は、現在も現役時のまま残っています。一見して木造校舎のようなデザインの校舎は、実はコンクリート製です。上津浦の農地のなかにひっそり佇みます。
島子(しまこ) 小学校は、かつて熊本県天草市にあった公立小学校です。旧有明町域の小学校は、有明小学校として新設統合されたため、閉校となっています。校舎の配置は変則的で、4棟が寄せ合うように建てられています。
志柿(しかき)小学校は、かつて熊本県天草市にあった公立小学校です。志柿町は、天草上島の最西北部に位置する地域です。天草瀬戸大橋の西岸に位置するので、陸路で天草上島へ渡る場合、必ず通過することになります。
浦小学校は、かつて熊本県天草市倉岳町にあった公立小学校です。校舎の敷地は、旧浦村の庄屋の屋敷となります。校舎は、現在も浦地区コミュニティセンターとして使われる、シンボル的存在です。
宮田(みやだ)小学校は、かつて熊本県天草市倉岳町にあった公立小学校です。宮田小学校は、1955年(昭和30年)に倉岳町となる以前の旧宮田村で、ただ一つの小学校でした。とても存在感のある閉校記念碑が残されています。