殉教千人塚というのは、熊本県天草市の殉教公園にある史跡です。
天草島原の乱で亡くなった両軍の戦死者を慰霊する石碑です。
本渡の戦い
1637年11月14日、天草島原の乱で相対する一揆軍と幕府軍は、本戸城で戦火を交えています。
近くを流れる山口川では、屍が川の流れをせき止めたというほどの大激戦だったといいます。
大将・三宅藤兵衛を失った幕府軍は、富岡城へ敗退しました。
本渡の戦いののち、両軍の無数の死体は市内各所に埋葬されました。
5000 柱が眠る殉教公園
本渡の戦いによる犠牲者はあちこちに埋葬され、長い年月が経つうち、なかには放置されるところもでていました。
第二次世界大戦後、当時の本渡市長は散在するお墓や慰霊碑から 約 5,000 人分といわれる人骨を集めています。
1956年 (昭和31年)までに集められた遺骨は、殉教公園の慰霊碑の下やキリシタン墓地に埋葬されています。
心霊スポット
実は殉教公園は、霊の目撃スポットでもあります。
- 山積みの遺体
- 転がる生首
- 黒こげの首なし遺体
島原の乱は、弾圧に反発したキリシタンが起こした一揆と思われていますが、年貢の取り過ぎに苦しむ多くの領民も蜂起しています。
理不尽な弾圧に苦しんだうえ、圧倒的兵力に屈した一揆軍の霊は、怨霊化しても何もおかしくありません。
殉教公園に移され丁重に葬られ直した遺骨ですが、その怨念は残り続けるのでしょう。
場所 熊本県天草市船之尾町12
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