槻木大師堂 山の中のお大師さま
熊本県の南東端、球磨郡多良木町槻木(つきぎ)地区の、お大師堂に弘法大師坐像が安置されています。日本遺産人吉球磨の構成文化財のひとつです。お大師堂があるのは、下槻木といわれる集落です。 お大師さんは、残念ながら普段は見ることができません。
日本遺産人吉球磨のタグがついた記事の一覧になります。 訪れる前の情報収集、訪問後の確認にご利用いただければ幸いです。
熊本県の南東端、球磨郡多良木町槻木(つきぎ)地区の、お大師堂に弘法大師坐像が安置されています。日本遺産人吉球磨の構成文化財のひとつです。お大師堂があるのは、下槻木といわれる集落です。 お大師さんは、残念ながら普段は見ることができません。
里宮神社は、熊本県球磨郡湯前町にある神社です。地元では昔から縁結びの神さまとして知られています。市房山神宮の遥拝所(ようはいしょ)として創建した経緯から、市房山神宮下宮という位置づけになっています。日本遺産人吉球磨地域の構成文化財です。
普門寺観音は、相良三十三観音霊場の25番札所です。市房山神宮と関係が深く、「化け猫騒動」の発端となった普門寺の観音堂です。市房山神宮の遥拝所(ようはしょ)としての機能も有していましたが、1883年に焼失しました。里宮神社建立経緯にも関わります。
龍泉寺観音は、相良三十三観音霊場の24番札所となります。龍泉寺は曹洞宗のお寺で、永国寺の末寺です。現在、龍泉寺の境内にある観音堂は、時代とともに、複数回移されています。現在は、100年以上、龍泉寺の境内にありますので、やっと落ち着いたのかもしれません。
球磨焼酎は、藩として重要物資である米を原料としていたにもかかわらず、相良氏により製造が許可されました。球磨盆地という特殊な条件下にあったため、500年もの間、造られ続けてきました。伝統を守りながらも、時代に合わせ変化してきた球磨焼酎は、日本遺産人吉球磨のストーリーとも共通しています。
相良三十三観音巡りは、江戸時代に人吉藩で始まった巡礼です。時代による変化がありながらも、今日まで受け継がれています。三十三観音霊場ながらも35の札所があります。記事がさがしやすいようにまとめておきます。最近は観光で巡礼する方も多いと聞きます。参考になれば幸いです。
上里の町観音は、相良三十三観音霊場の26番札所となります。通称「町の観音さん」で、その名の通り湯前町上里の町の中に祀られます。建築に関わった大工さんや、鰐口の寄進者から、西米良村の人々の信仰も集めていたことが伺われます。
永田観音は、相良三十三観音霊場の11番札所です。もともとは、鬼木町芦原の施無畏院(せむいいん)の観音さまでした。現在の聖泉院に移されたのは明治になってからです。今でも「芦原ん観音さん」とよぶ人もいます。公式にも永田観音と芦原観音が併記されています。
清水(きよみず)観音は、相良三十三観音霊場の1番札所です。観音堂は願成寺のすぐそばになります。1603年、相良家20代藩主長毎(ながつね)の立願により、京都清水寺の清水観音を勧請したものです。ご本尊は、永い間人吉城内にありました。明治になってから願成寺に移されたものです。
願成寺は、1233年、相良家初代領主、相良長頼によって創建されたお寺です。願成寺は人吉城からみて、丑寅(北東)の方角にあたります。鬼門を守護する意味も含めて、氏寺としたといわれています。敷地の大部分は相良家墓地です。さらに登ると大村平家城跡です。
瀬原観音は、相良三十三観音霊場の10番札所となります。旧来からの人吉市街にあり、現在も観光ホテルが並ぶ、人吉の商業地域の代表スポットにあります。境内の「ガランさま」と呼ばれる石塔は、耳の病気や、咳にご利益があるといわれています。
村山観音は、相良三十三観音霊場の9番札所です。期間限定開帳の観音さまが多い中、常時開帳してある貴重な観音さまです。村山観音は、元をたどると、観琳寺というお寺が由来です。現在は歓蓮寺になっていて、周辺は村山台地の一大聖域です。