上里の町観音は、相良三十三観音霊場の26番札所となります。
相良三十三観音霊場のなかでは、最も東にある観音堂です。
県境が近く、宮崎県西米良村との関係もうかがわれます。
宝泉寺
昔、上里の町観音堂の近くに宝泉寺というお寺がありました。
しかし、来歴などは文献がなくわかっていません。
観音堂は、1900年(明治33年)に改築されたことが、内部の棟札からわかっています。
棟札に書いてある大工には、西米良村出身の人が含まれています。
また、鰐口は、西米良の米良家 23 代則信が寄進したものです。
明治時代になるまでは、西米良も人吉藩の領地でした。
宮崎県境の湯前町は、米良との交流が深かったことがわかります。
通称は「町の観音さん」です。
その名の通り、湯前町の町中に建てられています。
ご本尊
ご本尊は、室町時代作の聖観音立像です。
1852年に、久米の仏師、弓削田市内が補修をしたという銘があります。
しかし、文献上の記録がなく、不明な点が多い観音さまです。
さらしに「奉納九月彼岸」と書いた旗を納め、その旗を岩田帯としてもらうと、お産が軽くなると伝えられています。
関連記事
【関連記事】人吉球磨三十三観音 Web上で巡礼できるようにしてみた
【25番札所】普門寺観音堂 球磨郡の歴史に残るイベントに多く関わった、普門寺の観音堂
【27番札所】集光山宝陀寺 住職が命がけで都から球磨湯前まで持ち帰った巨像