集光山宝陀寺

宝陀寺観音 住職が命をかけて都から持ち帰った大きな観音さま

宝陀寺観音は、相良三十三観音霊場の 27 番札所となります。

宝陀寺観音堂

住職が、命を賭してまで京都から持ち帰った大きな観音さまです。

集光山宝陀寺

宝陀寺は、中世の豪族、久米氏が建て菩薩寺としていたお寺です。

相良氏が人吉に入国した後も、現役のお寺として存続していました。

宝陀寺観音堂

時は流れ、江戸時代になると、多良木町の永昌寺の傘下にあったことがわかっています。

明治時代に廃寺となっています。

宝陀寺の文化財の説明板

現存するのは観音堂だけとなっていますが、観音堂の東側約 100mのところに、歴代住職のお墓が残っています。

本堂は、観音堂と住職墓地の間にあったものと考えられています。

正面から見た宝陀寺観音堂

宝陀寺の観音堂は、1696年建立との記録が残っています。

最近では、1898年(明治31年)と 1974年(昭和49年)に改修されています。

ご本尊

ご本尊は、十一面観音立像です。

像高180cmの巨像として知られています。

宝陀寺観音堂入り口の案内板

当初は南北朝時代に作られたものです。

最近では 1979年(昭和 54年)に修造されています。

宝陀寺観音
人吉球磨ガイド

地元ではこの大きな像を、京都から運んできたといういい伝えが残っています。

「腰の観音さん」

「お産の観音さん」

ともいい伝えられています。

日本遺産構成文化財・相良三十三観音の説明板

女性の 23歳の厄年に、厄払いを祈願するといいます。

厄晴れの時には、赤ちゃんを抱いてお参りする風習が残っています。

宝陀寺観音堂

ご本尊の十一面観音像は、熊本県指定の重要文化財です。

法陀寺境内のスギの木

ご本尊の脇に安置される地蔵菩薩立像は、室町時代に作られたものになります。

湯前町指定の重要文化財です。

お堂にある鉄製鰐口は、1774 年に豊永という方が施入したものです。

湯前町の重要文化財です。

即身成仏の遺跡

宝陀寺の大きな十一面観音像を京都から持ち帰るとき、豊後国(現在の大分県) 沖の海がしけて渡れない日が続きました。

宝陀寺観音堂 全景

当時の住職は、

「もし大難をのがれ、宝陀寺に着くことができなら、私がその身代わりになろう」

と願をかけます。

宝陀寺観音堂 近景

この願により、観音さまは無事に宝陀寺へ着きました。

住職は家族とともに断食し、人柱として成仏しました。

即身成仏の遺跡

観音堂前の小高い丘に、小さな祠がまつられています。

まさに住職が成仏した場所です。

まとめ

宝寺観音堂のあたりは、寺社仏閣が集まり、往時こそにぎやかだった地域だと感じます。

しかし、今となっては町の中心部からは外れ、山に飲み込まれそうな場所です。

宝陀寺観音堂 遠景

宝陀寺が廃寺となったあとも、伝説が語り継がれ、観音堂は現在まで残りました。

いかに、地元の方たちに大事にされてきたかがわかるような気がします。

場所 熊本県球磨郡湯前町瀬戸口

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