宝陀寺観音は、相良三十三観音霊場の 27 番札所となります。
![宝陀寺観音堂](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
住職が、命を賭してまで京都から持ち帰った大きな観音さまです。
集光山宝陀寺
宝陀寺は、中世の豪族、久米氏が建て菩薩寺としていたお寺です。
相良氏が人吉に入国した後も、現役のお寺として存続していました。
![宝陀寺観音堂](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
時は流れ、江戸時代になると、多良木町の永昌寺の傘下にあったことがわかっています。
明治時代に廃寺となっています。
![宝陀寺の文化財の説明板](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
現存するのは観音堂だけとなっていますが、観音堂の東側約 100mのところに、歴代住職のお墓が残っています。
本堂は、観音堂と住職墓地の間にあったものと考えられています。
![正面から見た宝陀寺観音堂](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
宝陀寺の観音堂は、1696年建立との記録が残っています。
最近では、1898年(明治31年)と 1974年(昭和49年)に改修されています。
ご本尊
ご本尊は、十一面観音立像です。
像高180cmの巨像として知られています。
![宝陀寺観音堂入り口の案内板](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
当初は南北朝時代に作られたものです。
最近では 1979年(昭和 54年)に修造されています。
![宝陀寺観音](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
地元ではこの大きな像を、京都から運んできたといういい伝えが残っています。
「腰の観音さん」
「お産の観音さん」
ともいい伝えられています。
![日本遺産構成文化財・相良三十三観音の説明板](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
女性の 23歳の厄年に、厄払いを祈願するといいます。
厄晴れの時には、赤ちゃんを抱いてお参りする風習が残っています。
![宝陀寺観音堂](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
ご本尊の十一面観音像は、熊本県指定の重要文化財です。
![法陀寺境内のスギの木](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
ご本尊の脇に安置される地蔵菩薩立像は、室町時代に作られたものになります。
湯前町指定の重要文化財です。
![](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
お堂にある鉄製鰐口は、1774 年に豊永という方が施入したものです。
湯前町の重要文化財です。
即身成仏の遺跡
宝陀寺の大きな十一面観音像を京都から持ち帰るとき、豊後国(現在の大分県) 沖の海がしけて渡れない日が続きました。
![宝陀寺観音堂 全景](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
当時の住職は、
「もし大難をのがれ、宝陀寺に着くことができなら、私がその身代わりになろう」
と願をかけます。
![宝陀寺観音堂 近景](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
この願により、観音さまは無事に宝陀寺へ着きました。
住職は家族とともに断食し、人柱として成仏しました。
![即身成仏の遺跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
観音堂前の小高い丘に、小さな祠がまつられています。
まさに住職が成仏した場所です。
まとめ
宝寺観音堂のあたりは、寺社仏閣が集まり、往時こそにぎやかだった地域だと感じます。
しかし、今となっては町の中心部からは外れ、山に飲み込まれそうな場所です。
![宝陀寺観音堂 遠景](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
宝陀寺が廃寺となったあとも、伝説が語り継がれ、観音堂は現在まで残りました。
いかに、地元の方たちに大事にされてきたかがわかるような気がします。
場所 熊本県球磨郡湯前町瀬戸口
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