合戦峰観音堂 おシャレな物産販売所とトイレを併設
合戦峰(かしのみね)観音は、相良三十三観音霊場の12番札所です。勝負ごとや競争ごとにご利益があると伝えられています。観音堂に隣接する、おシャレなデザインの物産販売所とトイレも見どころです。あの新国立競技場をデザインした建築家が設計しています。
合戦峰(かしのみね)観音は、相良三十三観音霊場の12番札所です。勝負ごとや競争ごとにご利益があると伝えられています。観音堂に隣接する、おシャレなデザインの物産販売所とトイレも見どころです。あの新国立競技場をデザインした建築家が設計しています。
御大師堂は日本遺産人吉球磨の構成文化財29番となります。この地区では「御大師堂」といえば湯前町の「おだいし」のことを指します。湯前町内や球磨郡内にも弘法大師像はあります。しかし、地名や冠名をつけずに「御大師」といえばここを指します。
石室(いしむろ)観音堂は、相良三十三観音霊場の7番札所となります。もとは石室寺のご本尊でしたが、原田喧嘩により石室の名前と観音さまだけを残し廃寺となってしまいました。現在は、石水寺という大きなお寺の一角にお堂が残されています。
嵯峨里(さがり)観音は、相良三十三観音霊場の6番札所となります。ご本尊は、十一面観音坐像です。家を火災から守り、子どもの健康と幸せを守ってくださる、ありがたい観音さまです。江戸時代中期の作とされ、1752年に豊前中津の仏師が彩色しています。
十島観音は、相良三十三観音霊場の14番札所となります。観音堂の由来となる蓮花院では、1627年に一向宗の信徒がいたことが発覚し大事件となりました。薩摩藩や人吉藩では一向宗を禁止していて、信者の家からは仏像仏具が押収され、十島菅原神社で焼却されました。
蓑毛(みのも)観音は、相良三十三観音霊場の15番札所です。別名「ウトんかん」ともよばれ、長寿・家内安全にご利益があるとされています。60歳の還暦を迎えた人が、長寿と家内安全を祈り、「奉寄進」の立て旗を納める習慣が残っています。
深水観音(ふかみかんのん)は、相良三十三観音霊場の16番札所となっています。水に対する祈願と、堤を守る仏としてまつられています。境内には、相良藩の家臣、深水頼方宗芳のお墓があり、「歯のかみさん」として有名です。
上園(うえんそん)観音は、相良三十三観音霊場17番札所です。子どもを病気から守ってくれる観音さまであり、古くから牛馬のお守りとしても信仰されてきました。上園のネイティブな読み方が「うえんそん」であり、観音さまの呼び名としても定着しています。
廻り観音は相良三十三観音霊場の18番札所です。三十三観音霊場の中でも絶景ポイントとされているのは川辺川の眺めです。近くに「河童の墓」があります。相良村にはカッパにまつわる伝説が残っていて、川辺川にはカッパが住んでいるといわれています。
覚井(かくい)観音は、相良三十三観音霊場の22番札所です。近くの上手観音も22番札所となので、スルーしないようにご注意ください。1955年(昭和10年)から、エンブリー博士という人類学者が、日本の農村研究のため住んでいた住居のすぐそばになります。
上手観音は相良三十三観音霊場の22番札所です。岩立観音ともよばれています。子供や妊婦を守る観音さまとして信仰されています。近くに「おいちの墓」があります。こちらも妊婦と子どもの守り神として崇拝されていますのでセットでのお参りをおススメします。
永峰観音は、相良三十三観音霊場の21番札所です。 ご本尊は如意輪観音立像で、相良三十三観音唯一の如意輪観音となります。願いを叶え、悩み多き民衆を救う観音さまです。また、安産にもご利益があるといわれています。