終戦間際になると、南方への前線となる鹿児島には数多くの軍事基地が置かれました。
沖縄作戦の特別攻撃実施と、米軍の本土上陸作戦に対抗するためです。
戦後75年を経過した中、現在も多くの歴史的史跡が残っています。
今回は、薩摩半島に点在する軍事遺構をまとめてみます。
出水海軍航空基地
出水海軍航空基地は、航空機の搭乗員や整備員を養成する基地でした。
戦局が進むにつれ、特別攻撃隊の発進基地となります。
予科練隊員は、実戦部隊へ基地を譲ることになります。
基地跡には地下戦闘指揮所や、衛兵棟が現存していて、出水特攻碑公園となっています。
天狗鼻海軍望楼台
天狗鼻海軍望楼台は、大戦より前の時代の戦争遺構となります。
日露戦争の戦中に、常駐する海軍兵がロシア軍のバルチック艦隊が北上するのを監視していました。
その後は電探(レーダー)がその役割を果たしたため廃止されていますが、望楼台が現存しています。
鹿児島海軍航空基地
鹿児島海軍航空隊は、鹿児島市営水陸両用飛行場を接収し開設した予科練の訓練施設です。
鹿児島飛行場は、もともとは、1932年(昭和7年)に奄美・沖縄航空路の起点として設置された民間空港でした。
開戦直前には錦江湾を真珠湾に見立て、真珠湾奇襲部隊の雷撃隊が訓練に使った飛行場として知られています。
通称は鴨池空港です。
戦後1957年(昭和32年)に空港を再開しましたが、1972年(昭和47年)現在の鹿児島空港の開港で閉鎖しています。
跡地は再開発され、鴨池ニュータウンとなっています。
鴨池小学校の校門横に、鹿児島海軍航空隊跡の碑が残っています。
万世陸軍航空基地
万世陸軍航空基地は、大戦終盤に陸軍が秘密裏に急造した軍事基地です。
実戦で使われたのはわずか、約4ヶ月なのですが、関係者 201 名が亡くなっています。
そのうち、特別攻撃で亡くなったのは 121 名です。
万世陸軍航空基地の一部は、万世特攻平和祈念館になっています。
知覧陸軍航空基地
知覧陸軍航空基地は、知覧特攻平和会館により、全国的にも知名度の高い基地です。
数ある航空基地の中でも、最も多くの特別攻撃隊員が出撃した基地となります。
跡地に建てられた知覧特攻平和会館では、特別攻撃に関する、多くの資料を見ることができます。
航空機の展示はもちろん、遺構群も充実しています。
青戸陸軍航空基地
青戸陸軍航空基地の中心施設・青戸飛行場は、建設中に爆撃を受けた未成飛行場です。
実戦で使われることはなかったのですが、本土決戦に備えたトーチカ跡が残っています。
その暗号名から「まのひ飛行場」ともよばれています。
青戸陸軍航空基地の大部分は、農地に戻っています。
海軍第125 震洋隊聖ヶ浦基地
震洋というのは、体当たり攻撃で敵艦を撃沈する目的で造られたボートです。
震洋隊というのは、いわば艦艇による特別攻撃隊です。
米軍の本土上陸に備え、国内で114ヶ所、鹿児島県内だけでも 18 ヶ所に基地が造られました。
聖ヶ浦の入江に配置されたのが、第125震洋隊でした。
跡地は、聖ヶ浦ポケットパークの一部となっています。
指宿海軍航空基地
指宿海軍航空基地は、水上機の飛行場でした。
戦闘機に比べて運動能力のする、水上機による特別攻撃の発進基地でした。
本土最南端の航空基地ということもあり、米軍の空襲の標的になっています。
基地跡の大部分が休暇村の施設となり、防空壕の上が慰霊碑公園となっています。
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