出水飛行場 戦闘指揮所地下壕

出水特攻碑公園 海軍航空隊が駐留した出水飛行場の遺構

出水特攻碑公園は、かつて鹿児島県出水市にあった、出水飛行場跡につくられた公園です。

出水特攻碑公園 戦闘指揮所地下壕

大戦末期には、出水飛行場も知覧飛行場と同様に、特別攻撃隊の出撃基地でした。

出水海軍航空隊

出水特攻碑公園

出水海軍航空隊は、もともとは航空要員を養成する部隊でした。

出水特攻碑公園

出水飛行場がつくられたのは、1940年(昭和15年)です。

出水特攻碑公園

当初は、鹿屋飛行場や大村飛行場の補助飛行場的な役割でした。

出水特攻碑公園 慰霊碑

戦況が進むと、大勢の飛行要員を急いで増やす必要性がでてきました。

出水特攻碑公園 友軍機のプロペラ

そのため1943年(昭和 18年)に、出水海軍航空隊が編成されています。

出水特攻碑公園 戦闘指揮所地下壕

出水海軍航空隊は、航空要員や整備科候補生の訓練をする部隊でした。

出水特攻碑公園 戦闘指揮所地下壕見学のルール

本土決戦が近くなると、本土防衛を担う実施部隊へ施設を渡すことになります。

出水特攻碑公園 衛兵舎

実施部隊は、特攻作戦のため連日のように出水飛行場を飛び立ちました。

出水特攻碑公園 慰霊碑

その結果、260人以上の特攻隊員が英霊となっています。

出水飛行場の現在の状況

出水特攻碑公園 出水基地への空襲と当時の基地の状況

1945年(昭和 20年)になると、出水飛行場は米軍の空襲を受けるようになります。

出水特攻碑公園 出水飛行場の写真

飛行機や施設が爆撃により破壊され、無力化されてしまいます。

出水特攻碑公園 出水飛行場の爆撃の様子

戦時中には再建不能となり、再び耕作地に戻っていきました。

出水特攻碑公園 出水基地略図

戦後、出水飛行場跡は平和町と命名されています。

出水特攻碑公園

現在では飛行場の面影は、ほぼなくなっています。

出水特攻碑公園 滑走路だった出水ゴルフクラブ

滑走路があったのは、出水ゴルフクラブのあるあたりです。

出水特攻碑公園 運動場だった出水自動車学校

運動場は出水自動車学校になっています。

出水特攻碑公園 衛兵舎

出水飛行場の一部である、出水特攻碑公園に数少ない遺構が残されます。

衛兵塔

出水特攻碑公園 衛兵舎(哨舎)

基地の入口にあり、衛兵がいた哨舎です。

出水特攻碑公園 衛兵舎(哨舎)

本来は30m南側にあったものを、特攻碑公園内に移築したものです。

出水特攻碑公園 衛兵舎(哨舎)の弾痕跡

外壁の弾痕が、空襲の激しさを物語ります。

出水特攻碑公園 衛兵舎(哨舎)

地下戦闘指揮所地下壕

出水特攻碑公園 戦闘指揮所地下壕

敵機の空襲に備えてつくられた地下壕です。

出水特攻碑公園 戦闘指揮所地下壕の階段

敵機の空襲が激しくなると、戦闘指揮所の役割を果たしています。

出水特攻碑公園 戦闘指揮所地下壕の内部

まさに出水飛行場の中枢だった場所です。

出水特攻碑公園 戦闘指揮所地下壕

出入口は4か所ありましたが、そのうち2か所は敵の攻撃で塞がってしまいました。

出水特攻碑公園 戦闘指揮所地下壕の内部

現在は2か所から出入りすることができます。

出水特攻碑公園 戦闘指揮所地下壕の内部

地下壕の中には、出水飛行場にあった機体の一部が展示されています。

九六式陸上攻撃機

出水特攻碑公園 九六式陸上攻撃機の説明板

通称は「九六陸攻(きゅうろくりくこう)」、日本軍の中型陸上攻撃機でした。

出水特攻碑公園 九六式陸上攻撃機の翼の一部

偵察任務を終え出水基地へ帰投中、敵機の攻撃により墜落した機体の一部です。

九三式中間練習機

出水特攻碑公園 赤とんぼの説明板

通称は「赤とんぼ」です。

出水特攻碑公園 赤とんぼの説明板

練習航空隊に配備された、複葉の練習機です。

出水特攻碑公園 赤とんぼの垂直尾翼の骨組みです。

展示品は、赤とんぼの垂直尾翼の骨組みです。

友軍機のプロペラ

出水特攻碑公園 友軍機のプロペラ

出水基地の沖合で、漁網にかかった航空機のプロペラです。

出水特攻碑公園 友軍機のプロペラ

慰霊碑群

出水特攻碑公園 慰霊碑

出水飛行場を飛び立ち、英霊となった方々を慰霊する石碑群です。

出水特攻碑公園 特攻慰霊碑

メイン建造物であり、特攻碑公園名称の由来にもなっています。

出水特攻碑公園 鎮魂碑

艦これ聖地

出水飛行場は、日本海軍の部隊のひとつでした。

艦隊これくしょん 零式艦戦52型
© since 1998 DMM

特攻神社とあわせて、艦これ聖地として訪れる方もいます。

出水特攻記念碑公園

場所 鹿児島県出水市平和町135

特攻神社

創建は1943年(昭和 18年)、出水海軍航空隊の発足と同じ年です。

特攻神社 鳥居

当初は出水飛行場の守護神でした。

特攻神社 出水第二海軍航空隊門柱

特別攻撃が始まると出撃する隊員は、この神社に使命の成功と国家の安泰を祈願して出撃していました。

特攻神社 英霊之碑

そのため、特攻神社と命名されています。

特攻神社 出水第二海軍航空隊門柱

現在では、英霊となられた隊員すべてがご祭神となっています。

ご祭神

特攻神社

関行男命(せきゆきおのみこと)

日本海軍中佐です。

特攻神社

優秀なパイロットでしたが、初の特別攻撃隊の指揮官として武功を上げています。

金指勲命(かなざしいさおのみこと)

日本海軍大尉です。

特攻神社 大尉の銅像

1945年(昭和20年)に、この出水飛行場から出撃しています。

特攻神社

足摺岬南方海上での、空母フランクリンとの交戦で戦死しています。

全国特別攻撃地散華之命達

全国の出撃基地から飛び立ち、英霊となられた隊員の方々たちをまつります。

特攻神社

特攻神社

場所 鹿児島県出水市知識町346

出水飛行場の掩体壕

出水飛行場の面影はなくなりましたが、滑走路跡のそばには現在も掩体壕(えんたいごう)がのこされています。

掩体壕1

掩体壕というのは、航空機などを敵の攻撃から守るための設備です。

駐車場そばの掩体壕は、ほぼ原形をとどめています。

掩体壕2

すぐとなりの掩体壕は、コンクリートの状態がよくわかるようにしてあります。

上部に穴が開いていますが、米軍機の爆撃によるものでしょう。

掩体壕3

掩体壕1および2とは、少し離れた住宅街に掩体壕3があります。

掩体壕3は、爆撃によるものなのかは不明ですが、上部の崩落がみられます。

爆撃がなくとも、鉄筋・鉄骨が入っていないので、放っておけば経年劣化で崩れ去るはずです。

掩体壕用駐車場

場所 鹿児島県出水市平和町366

出水飛行場の遺構

出水航空隊気象観測所跡

市内には、現在も出水飛行場時代に建てられた建物がわずかに残ります。

出水航空隊ポイラー跡

出水航空隊ポイラー跡

出水飛行場のポイラー室として使われた建物です。

出水航空隊ポイラー跡

修理して民家に転用されたため、現在でもその姿を残しています。

出水航空隊ポイラー跡

民有地のため敷地に入ることはできません。

出水航空隊ポイラー跡

場所 鹿児島県出水市平和町50-3

出水航空隊気象観測所跡

出水航空隊気象観測所跡

出水航空隊開設当初は無線通信所だった建物です。

出水航空隊気象観測所跡

実戦部隊が配属されると、無線通信所は離れた場所に移設し、気象観測所となっています。

出水航空隊気象観測所跡

戦後、民家として利用されたため、現在もレンガ造りの建物が残されています。

出水航空隊気象観測所跡

場所 鹿児島県出水市上知識町410

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