米軍の本土進攻が予想される中、大戦中には南九州に防衛拠点として多くの基地が置かれました。
![川南陸軍挺進練習部 唐瀬原給水塔](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
沖縄に近い鹿児島県とともに、太平洋に面する宮崎県にも多くの軍事施設がつくられています。
特攻121震洋細島基地
![震洋特攻出撃](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
震洋というのは、船首に爆弾を積んで戦艦に体当たりする兵器です。
![特攻121震洋細島基地](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
航空機による特別攻撃の、船舶版みたいな位置づけです。
![特攻121震洋細島基地](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
本土決戦が迫る中、米軍の上陸作戦に対抗するため、九州各地に基地が置かれました。
![特攻121震洋細島基地](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
宮崎県日向市細島には、第121震洋隊基地が置かれ、188名もの隊員が体当たり訓練をしていました。
![特攻121震洋細島基地跡の説明板](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
実戦に出撃することはなく、終戦を向かえています。
場所 宮崎県日向市細島
富高海軍航空基地
![富高海軍航空隊の隊門跡付近](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
富高海軍航空基地跡は、現在はすっかり日向市街になっています。
![小倉ヶ浜道路入口の富高海軍航空基地跡の標柱](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
しかし、小倉ヶ浜に面する、現在の財光寺一帯が富高飛行場でした。
![協和病院の神風特別攻撃隊出撃之地 の碑](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
富高飛行場は、1929年(昭和4年)に完成しています。
![富高飛行場滑走路跡にある協和病院の入口](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
当初は、常駐者のいない臨時の訓練飛行場として運用されました。
![富高海軍航空基地 しらさぎ公園のプロペラ展示施設](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
1941年(昭和16年)には、真珠湾攻撃の訓練が行われています。
![しらさぎ公園のプロペラ展示施設内にある、零式艦上戦闘機52型の絵](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
開戦後は、築城(ついき)航空隊の富高分遣隊として約300名規模の練習生が訓練をしています。
![しらさぎ公園のプロペラ展示施設内にある、零式艦上戦闘機52型と戦艦日向の絵](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
1944年(昭和19年)には、富高海軍航空隊として独立、特別攻撃の訓練を行っています。
![急降下爆撃訓練の標的とされた、小倉ヶ浜の岩](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
しかし、1945年(昭和20年)になると燃料・機材ともに不足し、岩国基地などに移転しました。
![小倉ヶ浜道路沿いの、富高海軍航空基地の標柱](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
小倉ヶ浜
![富高海軍航空基地 小倉ヶ浜](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
練習生が急降下爆撃訓練を行っていた、小倉ヶ浜(おくらがはま)の海岸です。
![富高海軍航空基地 小倉ヶ浜の松林](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
この松林の先が、富高飛行場でした。
![富高海軍航空基地 小倉ヶ浜](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
場所 宮崎県日向市平岩
しらさぎ公園
![富高海軍航空基地 しらさぎ公園](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
しらさぎ公園には、富高海軍航空基地跡を記念したプロペラ展示施設があります。
![富高海軍航空基地 しらさぎ公園 海自の練習機 KM-2 「こまどり」のプロペラ](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
プロペラは、海自の練習機 KM-2 「こまどり」のものです。
![富高海軍航空隊跡地プロペラ展示施設](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
掩体壕跡
![富高海軍航空基地 掩体壕](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
掩体壕(えんたいごう)というのは、航空機などを空襲から保護するためのコンクリート建造物です。
![富高海軍航空基地 掩体壕](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
富高飛行場で唯一残されていた掩体壕も、道路工事のため一部を残し解体されています。
![富高海軍航空基地 掩体壕](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
神風特別攻撃隊出撃之地碑
![富高海軍航空基地 神風特別攻撃隊出撃之地碑](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
滑走路跡地に建てられた協和病院内には、神風特別攻撃隊出撃之地を示す石碑が建てられています。
![富高海軍航空基地 空襲の爆弾でできた穴](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
石碑の後ろには、敵機の空襲によりできた穴が保存されています。
![富高海軍航空基地 協和病院](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
隊門跡
![富高海軍航空基地 隊門付近](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
富高海軍航空隊の隊門跡地です。
![富高海軍航空基地 隊門付近](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
すっかり日向市街地になっています。
場所 宮崎県日向市財光寺
川南陸軍挺進練習部
![川南陸軍挺進練習部 空挺落下傘部隊発祥の地の記念碑](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
1941年(昭和16年)に、川南町唐瀬原地区一帯には陸軍落下傘部隊が置かれました。
![川南陸軍挺進練習部 空挺落下傘部隊発祥の地の記念碑](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
南方戦線での奇襲作戦に備え、空挺落下傘部隊が訓練を行うためです。
![川南陸軍挺進練習部 陸軍空挺部隊一覧](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
落下傘部隊は、天孫降臨の地・日向になぞらえ、「空の神兵」とよばれていました。
![川南陸軍挺進練習部 空挺落下傘部隊発祥の地の碑](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
川南護国神社に、空挺落下傘部隊発祥の地の記念碑があります。
![川南陸軍挺進練習部 唐瀬原給水塔](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
唐瀬原(からせばる)の基地跡には、給水塔が残っています。
![川南陸軍挺進練習部 唐瀬原給水塔](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
給水塔は、川南陸軍挺進練習部で使われていたものです。
![川南陸軍挺進練習部 唐瀬原給水塔](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
場所
川南護国神社 | 宮崎県児湯郡川南町 |
唐瀬原給水塔 | 宮崎県児湯郡川南町平田 |
新田原陸軍航空基地
![新田原展望台バス停](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
新田原(にゅうたばる)飛行場は、現在は航空自衛隊の基地になっています。
![新田原飛行場の説明板](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
もともとは、1940年(昭和15年)に完成した、日本陸軍の新田原飛行場です。
![新田原展望広場](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
ちなみに「新田」を「にゅうた」と読むのは、新富町のなまりであって、英語の「New」が語源ではありません。
![新田原展望広場](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
なので戦前も戦中も、新田原(にゅうたばる)飛行場です。
![新田原飛行場](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
当初は、埼玉県の熊谷陸軍飛行学校の分教場でした。
![新田原飛行場](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
翌年には、陸軍挺進練習部が満州より移駐します。
![新田原陸軍航空基地 掩体壕](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
戦中は南方戦線の訓練基地・航空輸送基地として重要な役割を果たしています。
![新田原陸軍航空基地 掩体壕](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
さらに、1944年(昭和19年)には、陸軍航空通信学校の新田原教育隊が編成されています。
![新田原陸軍航空基地 掩体壕](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
空港の南側には、大戦中に造られた掩体壕(えんたいごう)が残されています。
![新田原陸軍航空基地 掩体壕](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
場所 宮崎県児湯郡新富町新田
大刀洗陸軍飛行学校木脇教育隊
![大刀洗陸軍飛行学校木脇教育隊](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
大刀洗陸軍飛行学校木脇教育隊は、木脇村(現在の国富町)にあった航空要員の養成施設です。
![大刀洗陸軍飛行学校木脇教育隊記念碑](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
1943年(昭和18年)に六野原飛行場を建設、航空機の操縦訓練が行われていました。
![](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
1945年(昭和20年)には度重なる空襲により、飛行場の機能は失われてしまいました。
![大刀洗陸軍飛行学校木脇教育隊記念碑の碑文](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
現在の六野原飛行場跡地は農地に戻り、当時の面影はほぼありません。
![大刀洗陸軍飛行学校木脇教育隊 六野原のトーチカ](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
木脇教育隊の記念碑が建てられているほか、戦時中建設されたトーチカが戦っています。
![大刀洗陸軍飛行学校木脇教育隊 六野原のトーチカの説明板](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
六野原のトーチカといい、大戦中に築かれたコンクリート陣地です。
![大刀洗陸軍飛行学校木脇教育隊 六野原のトーチカ](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
場所
木脇教育隊記念碑 | 宮崎県東諸県郡国富町三名4201 |
六野原のトーチカ | 宮崎県東諸県郡国富町八代北俣 |
宮崎海軍航空基地
![宮崎空港](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
宮崎海軍航空基地のあった赤江飛行場は、現在は宮崎ブーゲンビリア空港になっています。
![宮崎ブーゲンビリア空港](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
九州最大の航空基地であり、現在の宮崎ブーゲンビリア空港をしのぐ大きな飛行場がありました。
![宮崎特攻基地慰霊碑 説明板](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
その分、多くの特攻隊員が発進した基地にもなっています。
![宮崎特攻基地慰霊碑](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
宮崎海軍航空隊跡の石碑は、滑走路の西側です。
![宮崎特攻基地慰霊碑](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
その奥にには、慰霊碑が建てらています。
![宮崎海軍航空基地 本郷一号掩体壕](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
また、空港南西の本郷地区に、いくつかの提体壕が残っています。
![宮崎海軍航空基地 本郷二号掩体壕](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
本郷地区の提体壕は、民間の所有地となり車庫などに利用されています。
![宮崎海軍航空基地 本郷三号掩体壕](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
掩体壕の大きさから考えても、赤江飛行場の規模が大きかったことがうかがえます。
![宮崎海軍航空基地 赤江六号掩体壕](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
赤江地区にあるコンクリート遺構は、赤江地区にも滑走路が伸びていた名残です。
![宮崎海軍航空基地 弾薬庫](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
弾薬庫は農地の中ですが、公道から観察することができます。
![宮崎海軍航空基地 弾薬庫](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
場所
宮崎特攻基地慰霊碑 | 宮崎県宮崎市本郷北方181-7 |
本郷掩体壕 | 宮崎県宮崎市本郷北方4423-102 付近に合計4ヶ所残っています |
赤江地区弾薬庫 | 宮崎県宮崎市田吉 付近にコンクリート遺構が複数残っています |
都城北飛行場
![都城北飛行場跡の標柱](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
都城北飛行場は、1945年(昭和20年)に完成した陸軍の飛行場です。
![都城北飛行場跡の標柱と茶畑](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
特別攻撃機が配備されたのですが、出撃することなく翌月に終戦を迎えています。
![都城北飛行場跡の道路](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
現在、跡地には農地が広がります。
![都城北飛行場跡の道路](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
南側を流れる大淀川から砂利を採取し、滑走路を固めてありました。
![都城北飛行場跡 記念碑](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
戦後、農地に戻すために多大な苦労があったといわれています。
![都城北飛行場跡から見た高千穂峰](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
場所 宮崎県都城市野々美谷町
都城東飛行場
![都城東飛行場跡 特別攻撃隊出撃の碑](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
都城東飛行場は、沖水川の河原と田園にあった陸軍の飛行場です。
![都城東飛行場跡 特別攻撃隊出撃の碑](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
1944年(昭和19年)には、一式戦闘機「隼」と四式戦闘機「疾風」が配備されています。
![都城東飛行場跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
沖縄戦における、特別攻撃隊の発進基地となりました。
![都城東飛行場跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
都城東飛行場は、表面が荒れていたため、一見して飛行場とわからなかったといわれます。
![都城東飛行場跡 都北町緑地広場](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
そのため度重なる空襲を受けた都城市にあっても、終戦まで空襲に遭いませんでした。
![都城東飛行場跡 都北町緑地広場](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
終戦後は開拓地となり、海外常駐者や軍人が住み農業を営んでいました。
![都城東飛行場跡 都北町緑地広場入口](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
場所 宮崎県都城市都北町
![都城東飛行場跡 説明板](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
都城西飛行場
![都城西飛行場 特別攻撃隊出撃の地の碑](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
都城西飛行場は、飛行場大隊が派遣され、第一線基地となることを想定された基地です。
![都城西飛行場 説明板](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
1945 年(昭和 20 年)になると、米軍の空襲下にもかかわらず軍備が増強されています。
![都城西飛行場跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
さらに、地下壕が掘られ司令部や重要施設は地下に移転しています。
![都城西飛行場跡の陸上自衛隊都城駐屯地訓練場](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
終戦後は公団住宅が整備され、一部は陸上自衛隊の都城訓練場に転用されました。
![都城西飛行場跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
場所 宮崎県都城市都原町29
トーチカ跡
![都城のトーチカ跡入口](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
旧陸軍、都城西飛行場だった場所の近くに、トーチカが残っています。
![都城のトーチカと田の神の説明板](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
1945年(昭和20年)からは特別攻撃基地であり、敵機の空襲が激しかったといいます。
![都城のトーチカと田の神](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
このトーチカからも、機関砲で応戦していました。
![都城のトーチカ上の田の神](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
トーチカの上の田の神さぁは、戦後に乗せられたものです。
![都城のトーチカと田の神](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
場所 宮崎県都城市横市町
回天栄松基地
![回天栄松基地](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
回天というのは、魚雷を改造した1人乗りの特別攻撃兵器です。
![人間魚雷回天訓練之地碑](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
いわば人間魚雷であり、ひとたび出撃すると乗員が帰還するような想定はされていません。
![人間魚雷回天訓練之地碑](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
大戦終盤に戦局逆転を狙って実戦投入されています。
![人間魚雷回天訓練之地碑 碑文](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
本土決戦が濃厚になると、米軍の上陸作戦に備え沿岸部に部隊が配備されました。
![回天栄松基地と訓練地の南郷海岸](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
日南市南郷町の栄松基地には、7基の回天と第33 突撃隊第5回天隊が配備されています。
![回天栄松基地と訓練地の南郷海岸](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
今は美しい姿を見せる南郷海岸では、回天の訓練が行われていました。
![回天栄松基地と訓練地の南郷海岸](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
場所 宮崎県日南市南郷町贄波
都井岬海軍レーダー基地
![都井岬海軍レーダー基地](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
都井岬の扇山には、1941年(昭和16年)当時、最新鋭の電探を配備した基地が置かれていました。
![都井岬海軍レーダー基地 指揮所跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
敵機の接近を探知すると、すぐさま鹿屋航空基地に報告されていました。
![都井岬海軍レーダー基地 説明板](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
米軍が沖縄に上陸すると、基地周辺には、1日に200機から300機もの敵機が飛来していました。
![都井岬海軍レーダー基地 指揮所跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
扇山の山頂付近に、指揮所跡のコンクリート遺構が残っています。
![都井岬海軍レーダー基地 防空壕](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
また兵舎のあった場所の近くでは、防空壕跡を見ることができます。
![都井岬海軍レーダー基地 兵舎跡の説明板](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
場所 宮崎県串間市大納
まとめ
![宮崎特攻基地慰霊碑の日章旗と海軍旗](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
終戦後、基地跡には多くの遺構が残されていたのでしょうが、再開発を進める過程でその多くが取壊されています。
![川南陸軍挺進練習部 唐瀬原給水塔](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
その中で現在も残されている遺構は、歴史遺産として貴重な存在です。
![大刀洗陸軍飛行学校木脇教育隊 六野原のトーチカ](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
大戦の記憶を風化させないため、また将来の平和のために、これからも大切に残されることを願います。
![宮崎海軍航空基地 九号弾薬庫](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
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