荒尾二造というのは、東京第二陸軍造兵廠荒尾製造所の略称です。
![東京第二陸軍造兵廠荒尾製造所変電所跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
かつて熊本県荒尾市にあった、旧日本陸軍の火薬工場のことです。
火薬弾薬工場
![荒尾二造記念碑](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
荒尾二造の収用は、1939年(昭和14年)にはじまります。
![荒尾二造記念碑](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
荒尾市ならびに大牟田市には、三井三池炭鉱があったことから、重化学工場が発展していました。
![荒尾二造](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
原料調達が容易なうえ、鉄道輸送網も整備され、電力や水も入手しやすかったため、工場建設が計画されています。
![荒尾二造](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
その広さは100 万坪(330ha) といわれています。
![荒尾二造変電所内部](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
製造された火薬や弾薬は小倉造兵廠へ送られ、砲弾や爆弾、地雷となり戦地へ送られました。
![荒尾二造変電所内部](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
終戦時には、500棟もの建物があり、約 3,000人もの人が働く巨大工場となっていました。
![荒尾二造火薬庫](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
米軍の空襲
![荒尾二造弾薬庫](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
1944年 (昭和19年) 戦況悪化から、米軍による日本各地へ空襲がはじまります。
![荒尾二造弾薬庫](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
各地の工廠が壊滅的被害を受けたのに対し、荒尾二造では材料庫が2棟焼けただけにとどまります。
![荒尾二造弾薬庫跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
大牟田市街や荒尾市街でも多数の死傷者がでていましたが、荒尾二造では人的被害はなかったといいます。
![荒尾二造弾薬庫跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
終戦前には大増産でフル稼働、3交代制で24時間稼働しました。
![荒尾二造 弾薬庫跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
荒尾二造記念碑
![荒尾二造 施設案内板](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
荒尾市民病院前に建つ記念碑には、荒尾二造の概略図が書かれています。
![荒尾二造 施設案内板](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
市民病院からシティーモールまで、約 2.5kmにわたって工場が広がっていたことになります。
![建替中の荒尾市民病院](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
荒尾市民病院は建替え工事中でしたが、記念碑は見ることができました。
![荒尾市民病院](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
場所 熊本県荒尾市荒尾
![荒尾市民病院](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
変電所
![荒尾二造 変電所跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
数少ない荒尾二造の残存遺構を象徴するのが変電所跡です。
![荒尾二造 変電所の階段](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
ほとんどの残存遺構が民有地になったり、荒尾高校 (現在の岱志高校)の施設に転用されたりしていて、入ることができません。
![荒尾二造 変電所跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
変電所跡は公有地で、柵が設けられ中に入ることはできませんが、見学は堂々とできます。
![荒尾二造変電所跡 GHQの接収番号](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
ちなみに書かれている 「284」 という数字はGHQの接収番号です。
![荒尾二造変電所](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
「Trans Former Substation」 というのも、GHQ が書いたものです。
![荒尾二造 変電所の階段](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
連合軍も見ただけでは、何の役割を果たす施設がわからなかったのでしょう。
![荒尾二造変電所](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
場所 熊本県荒尾市増永
![東京第二陸軍造兵廠荒尾製造所変電所跡の説明看板](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
火薬庫
![荒尾二造 火薬庫跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
住宅街に残るのは火薬庫跡です。
![荒尾二造火薬庫跡の煙突](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
変電所もそうでしたが、斜面を利用して上から見ても建物があるように見せなくするのは、空襲対策でしょうか。
![荒尾二造火薬庫跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
確かに誘爆を起こす弾薬や火薬は、空襲の標的にしてほしくありません。
![荒尾二造火薬庫跡の物干し台](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
現在は、火薬庫の上は近くの住人が洗濯を干す場所になっていて、平和になったのを実感できます。
![荒尾二造火薬庫跡の物干し台](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
場所 熊本県荒尾市増永
![荒尾二造火薬庫の窓](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
弾薬庫1
![荒尾二造弾薬庫](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
弾薬庫も斜面にあり、現在は車庫として利用されたりしています。
![荒尾二造弾薬庫の接収番号108](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
弾薬庫の上に住宅が建っていますが、壁に書かれた接収番号が荒尾二造の施設だったことを物語ります。
![荒尾二造弾薬庫](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
なるほど、万が一爆発したとしても、他の弾薬庫に連鎖しにくい造りです。
![荒尾二造弾薬庫の接収番号107](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
場所 熊本県荒尾市増永
![荒尾二造弾薬庫](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
弾薬庫2
![荒尾二造弾薬庫](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
もう1ヶ所見に行った弾薬庫は、斜面にあるのは同じですが、屋根までしっかりコンクリート構造物でできています。
![ガーデン化した荒尾二造弾薬庫](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
現在はすっかりガーデン化した民有地です。
![ガーデン化した荒尾二造弾薬庫](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
場所 熊本県荒尾市増永
![ガーデン化した荒尾二造弾薬庫跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
まとめ
![荒尾二造記念碑](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
荒尾二造は陸軍直轄の軍需工場であり、飛行場や砲台などのように、直接交戦を目的とした軍事遺構とは少し異なります。
![荒尾二造弾薬庫 接収番号107](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
しかし、軍事利用という目的は同じであり、稼働時期も先の大戦と一致します。
![荒尾二造弾薬庫 接収番号108](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
後世に語り継ぐべき戦争遺構としてまとめておきます。
![荒尾二造変電所 接収番号284](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
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