美々地小学校は、かつて宮崎県延岡市にあった公立小学校です。

校区内には槙峰鉱山の社宅がたくさんありましたが、 鉱山の閉山で急速に人口が減少しています。
槙峰鉱山の町

槙峰鉱山は古くから稼働していました。

本格的な採鉱がはじまったのは、1889年(明治22年)に三菱の経営となってからです。

近代的な設備に生まれ変わると、生産量が増え従業員も増えました。

校区内には次々と鉱山社宅が建てられ、美々地小学校の生徒数も増えていきます。

1959(昭和34年)には、788名の児童が通っていました。

生徒数の増加に伴い、校舎も増築し対応していました。

鉱山閉山による転校

しかし、国内の銅山は、安価な輸入銅に押されるようになります。

1965年 (昭和40年)には、規模縮小により、大勢の社員が他の鉱山へ転籍しています。

1967年 (昭和42年)には、閉山となり三菱金属鉱業の社員とその家族は、槙峰を後にしました。

美々地小学校の子供たちも、多くが転校していきました。

美々地谷川

美々地小学校の敷地には、美々地谷川が流れています。

敷地の関係上、体育館やプールは対岸に建てられています。

校内には2本の橋が架けられています。

河をのぞくと大きな岩が転がっています。

木造校舎

一部に木造校舎が残されています。

北側の倉庫は、給食室だったといわれています。

橋のたもとにある校舎はさらに古い時代のものに感じます。

鉱山が稼働していた時代から使われていた校舎でしょう。

沿革

1894年(明治27年) | 椎畑尋常小学校美々地分教場として創立 |
1899年(明治32年) | 美々地尋常小学校として独立 |
1908 年(明治41年) | 現在地へ移転 |
1941 年(昭和 16 年) | 美々地国民学校へ改称 |
1947 年(昭和 22年) | 北方村立美々地小学校へ改称 |
1968 年(昭和 43年) | 現校舍落成 |
1970 年(昭和 45 年) | 北方町立美々地小学校へ改称 |
1972年(昭和 47年) | 体育館落成 |
1977 年(昭和 52 年) | プール落成 |
2006年(平成18年) | 延岡市立美々地小学校へ改称 |
2014 年(平成 26 年) | 延岡市立北方学園へ統合し閉校 |


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