金焼(かねやき)小学校は、かつて熊本県天草市にあった公立小学校です。
旧下浦町の南部を校区とし、現在は本渡東小学校の校区となっています。
金焼地区
金焼というのは、天草下島南西部にある地域です。
金焼地区の北側にある石場地区では、下浦石とよばれる良質な砂岩の産地でした。
下浦石工とよばれる、職人集団が住んでいた地域です。
石場という地名は、下浦石の積出港だったことにちなみます。
その下浦石を掘り出すためのノミが造られていたのが金焼地区です。
金焼という地名は、ノミを造るための金物が焼かれていたことにちなみます。
金焼小学校の校章にも、その名残が残っています。
石工の里らしい石碑群
金焼小学校へ行くには、金焼バス停から少し山に入ります。
周辺にも民家はあるのですが、夏の間に草が茂り見通しを遮っています。
校門の外側に記念碑が建てられています。
1948年(昭和23年)に、本校として独立したさいの記念碑です。
となりが閉校記念碑となります。
そして門柱です。
天草市金焼体育館
体育館は、天草市の金焼体育館として使われる現役施設です。
災害避難場所でもあります。
運動場とプール
運動場は使われている様子はなく、原野化しています。
運動場の先にプールがあるのですが、近づくことができませんでした。
校舎
校舎は2棟に分かれています。
校舎の玄関には、「天草市立歴史民俗資料館金焼収蔵庫」と表示してあります。
その役目を、校舎から歴史資料の収蔵庫へ変えているのがわかりました。
資料館ではなくあくまで収蔵庫であり、展示を見ることはできません。
2棟ともに、RC構造2階建てです。
奥の校舎に、給食搬入口のシャッターがあります。
なんと、その横には下浦石が積まれています。
2棟を結ぶ渡り廊下も、コンクリート造のしっかりしたものです。
校内の石碑群や積まれた石材を見ても、石工と関係の深い地域であることを感じます。
そして、この自然の豊かさだと、しばらく手を入れないと山林に戻ってしまいそうです。
末永く、現役施設として使われ続けることを願います。
沿革
1875年(明治8年) | 下浦小学校分石場教場として創立 |
1885年(明治18年) | 金焼に移転 |
1897年(明治30年) | 新田に移転 |
1912年(大正元年) | 元山に移転 |
1941年(昭和16年) | 下浦国民学校金焼分校へ改称 |
1947年(昭和22年) | 下浦村立下浦小学校金分校へ改称 |
1948年(昭和23年) | 下浦村立下浦第二小学校として独立 |
1954年(昭和29年) | 本渡市立下浦第二小学校へ改称 |
1967年(昭和42年) | 本渡市立金焼小学校へ改称 |
1980年(昭和55年) | 現在地(新田)に新築移転 |
2006年(平成18年) | 天草市立金焼小学校へ改称 |
2012年(平成24年) | 天草市立下浦第一小学校と統合し本渡東小学校新設 閉校 |
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