川内 (かわうち) 分校は、かつて熊本県水上村にあった岩野小学校の分校です。
総面積の92%を森林が占める山村の分校でした。
水上村
水上村は、球磨川の最上流にあたり、九州山地に重なる山村です。
地図上を占める面積は広いのですが、人口は2千人余という小さな村です。
もともとは、岩野村・江代村・湯山村が合併してできた村で、球磨川水源があることから水上というネーミングとなっています。
岩野地区の山間部に存在したのが川内分校です。
川内地区
川内分校へ行くには、球磨川の支流・小川内川(おごうちがわ)をさかのぼります。
熊本県道161 号五木湯前線を進むと、難なく川内分校跡へ行くことができます。
しかし、改良前は険しい山道で、路線バスさえも運行されたことのない路線です。
五木村まで続く県道は、川内地区を過ぎると未舗装の山道のままです。
スクールバス
水上村は面積が広く、大字ごとに3つの小学校がありました。
学制改革により創立した水上中学校は、当初3つの分室で授業をはじめています。
1952年 (昭和47年)に、地理的な村の中心に校舎ができ、分室を統合しています。
そのため、いちはやくスクールバスが導入されました。
川内地区へもスクールバスが運行されるようになります。
のちにスクールバスの存在が、川内分校の本校統合を早めることになっています。
当時の建物
川内分校跡には、地区の公民館が建てられています。
分校閉校後に、校舎跡に建てられてものです。
1974年 (昭和49年)に建てられた、当時の講堂(現在の川内集会所)が、唯一の学校当時からある建物です。
ついこの間までは、校門の横にスクールバスの車庫が残っていました。
今回訪れると、もともと何もなかったかのように解体されています。
2020年(令和2年)に訪れた際は、まだ残っていました。
スクールバスの車庫は閉校前からあった建物でした。
学校の名残り
分校跡は一見して、ただの公民館に見えますが、よく見ると分校の名残りが残っています。
集会所の壁にはまさに分校で使われていたであろう、黒板が埋め込まれています。
集会所のなかは、まさに分校の講堂です。
倉庫をのぞくと、分校時代使われていたであろう、木製椅子が山積みです。
閉校記念碑
校地内に残る石造物は、多くありません。
「建学乃碑」こそ、川内分校閉校を機に建てられた石碑です。
石碑の裏には、川内地区の教育発祥から、分校の本校統合までの歴史が刻まれています。
建立は、川内分校統合委員会です。
川内分校の歴史を一番長く見届けた石仏は、閉校後40年の歴史も見てきました。
沿革
1879年(明治12年) | 川内地区に教育発祥 |
1898年(明治31年) | 岩野小学校川内分教場創立 |
1941年 (昭和16年) | 岩野国民学校川内分校へ改称 |
1947年 (昭和22年) | 水上村立岩野小学校川内分校へ改称 |
1978年 (昭和53年) | 水上村立岩野小学校へ統合し閉校 |