市房山神宮の記事で軽く触れましたが、この記事では軽巡洋艦球磨記念館について書いています。
軽巡洋艦球磨とは
1917年(大正6年)、日本海軍は高性能の米軍艦船に対応するため、高速性と攻撃力を強化した新鋭艦の建造を計画しました。
1918年(大正7年)、佐世保海軍工廠にて着工。
1920年(大正9年)に軽巡洋艦球磨型の1番艦として「球磨」が竣工しました。
当時、長門型戦艦が8万馬力の出力であったのに対し、球磨は9万馬力を誇り、当時の日本の軍艦では最速の36ノット(時速66㎞)という高速航行を可能にしました。
53センチ魚雷発射機を4基8門、14センチ砲を7門と当時としてはかなりの強武装の艦でした。
日本海軍の軽巡洋艦は河川名にちなんで命名されるルールとなっており、球磨は球磨川に因んで名づけられました。
軽巡洋艦「球磨」の戦歴
球磨はそのスピードを活かし、主に人員や物資輸送任務にあたりました。
竣工後すぐにシベリア出兵のため兵員輸送任務に就きました。
その後1932年(昭和7年)には近代化改修を受けています。
日中戦争当時は中国沿岸の哨戒任務や、日本軍の中国上陸援護作戦についています。
作戦によっては艦隊の指揮を執る「旗艦」としての役割を果たしました。
1941年(昭和16年)大戦がはじまるとフィリピンでの日本人救出任務をはじめ、ソロモン、シンガポール、インドネシアなどを転戦します。
軽巡洋艦「球磨」の最期
1944年(昭和19年)1月11日、「球磨」は対潜演習のため駆逐艦「浦波」とともにマレーシアのペナンを出港しました。
マラッカ海峡でイギリス海軍潜水艦「タリー・ホウ」が「球磨」を発見、魚雷7発を発射しました。
雷跡をみつけた「球磨」は取り舵で逃げましたが、右舷後方に2発被弾しました。
更に積んでいた魚雷が誘爆したため沈没しました。
乗組員約450名のうち生存者は「浦波」により救助されましたが、138名が戦死しました。
球磨型軽巡洋艦は5番艦まで建造されています。
球磨、多摩、北上、大井、木曽の5艦のうち、北上を除く4艦が戦没しました。
戦後70年間知られていなかった「球磨」の守護神
日本では漁船など小さな漁船でも神様を祀る習慣があります。
軍艦の中にも「艦内神社」があり、軽巡洋艦は艦名と由来のある神社の神様を守護神としていました。
「球磨」の守護神が何であるか語り継ぐ人はなく、戦後70年間分祀した市房山神宮の関係者すら知りませんでした。
2015年(平成27)年6月、里宮神社を訪れた大分県の研究者が、1925年(大正14年)11月12日に発行された広島県の「呉新聞」を持参していました。
その記事の内容から「球磨」の守護神が、里宮神社の本社となる市房山神宮から分祀されたものであることが明らかになりました。
70年ぶりの合祀
それ以降、里宮神社では「球磨」が沈んだ1月11日に慰霊祭を行うようになりました。
2016年(平成28年)1月11日の慰霊祭に「球磨」の艦内神社に分祀され、海底に沈んでいた神様が70年振りに本社へ戻られました。
軽巡洋艦「球磨」のことや艦内に市房山神宮の神様が祀られていたことは、地元の人にも知られていません。
多くに人に軽巡洋艦「球磨」のことを知ってもらうことが戦没者の供養になるとの思いから、境内に「軽巡洋艦球磨記念館」が設置されました。
記念館には「球磨」にかかわる資料が展示してあります。
日本遺産、海軍遺産としての動き
里宮神社は2015年(平成27年)に日本遺産人吉球磨地域のひとつとして選定されました。
2018年(平成30年)8月1日にオープンした人吉海軍航空基地資料館(山の中の海軍基地 にしき ひみつ基地ミュージアム)を中心に、この地域の海軍遺産の観光整備をしています。
人吉海軍航空基地は大戦時兵站基地として使われていました。
また、予科練の教育施設としてパイロットやエンジニアの養成基地、航空機や関連機械を生産する工廠としての役割も併せ持っていました。
たとえば、航空機の燃料を生産していた松根油乾溜工場、航空機が離発着していた飛行場跡、本土決戦に備えて作られた地下施設などの形跡が現存しています。
日本遺産、海軍遺産をつなぎ、より多くに人にこの地域を訪れていただき、軽巡洋艦「球磨」のことを知っていただきたいと願います。
艦これ聖地としての「球磨」記念館
DMM.comが配信する「艦隊これくしょん」というプラウザゲームがあります。
軽巡洋艦「球磨」記念館には艦これにに登場する艦娘(かんむす)の「球磨」にちなんだ展示もあります。
そのため、里宮神社は艦これファンの方の聖地のひとつになっています。
里宮神社のある湯前町には、町出身の漫画家、那須良輔氏にちなんで「湯前まんが美術館」があります。
毎年11月に湯前まんが美術館一帯で「ゆのまえ漫画フェスタ」が開催され、全国からアニメファンが集まります。
この漫画フェスタに合わせて、艦これ聖地である里宮神社を訪れる方も多いそうです。
艦これでは、鎮守府跡や艦娘にまつわる各地の神社が聖地となっています。
戦艦「霧島」の聖地、鹿児島県の「霧島神宮」
戦艦「日向」の聖地、宮崎県の「宮崎神社」
と合わせ「里宮神社」の3社セットで訪れるファンもいます。
また、市房山神宮は3社構成となっています。
- 「市房山神宮本宮」
- 「市房山神宮下宮 (里宮神社) 」
- 「市房山神宮中宮(一宮神社)」
この3社を市房山三神宮といいます。
3社セットで「艦これ」の聖地として数えられています。
まとめ
軽巡洋艦「球磨」記念館には、もともとは戦死した乗員を慰霊する目的で置かれたものです。
ご英霊も次世代の平和を願われていたはずです。
戦争をしないことも大事ですが、相手に戦争をさせないようにすることも大事です。
史実を知ることでありのままを知り、戦争をなくすために知恵を絞ってほしいとの願いが込められています。
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