水俣諏訪神社 鳥居

水俣諏訪神社 オオクス群に抱かれる水俣市の郷社

水俣諏訪神社は、熊本県水俣市にある神社です。

水俣諏訪神社 鳥居とオオクス群

境内のクスノキは、諏訪神社のオオクス群として「ふるさと熊本の樹木」に登録されています。

参道

水俣川 九州新幹線高架橋と肥薩おれんじ鉄道鉄橋

水俣諏訪神社の参道は、水俣川から続いています。

水俣川 肥薩おれんじ鉄道鉄橋

水俣川に架かるのは、手前が新幹線の高架橋で、赤い鉄橋が肥薩おれんじ鉄道です。

水俣諏訪神社 参道入口

参道の入口には、鳥居なのか石灯籠なのか、もはやわかりませんが石造建造物が残ります。

水俣諏訪神社 鳥居

参道を進むと、りっぱなクスノキに囲まれた鳥居が現れます。

水俣諏訪神社 鳥居

クスノキ

水俣諏訪神社 鳥居とクスノキ

水俣諏訪神社の建立は室町時代初期と伝わります。

水俣諏訪神社のオオクス群の看板

実は神社の創建以前から、周辺にはクスノキが群生していたといいます。

水俣諏訪神社 クスノキのうろ

現在残る境内のクスノキの巨木群は、室町時代以前からのクスノキの自生林の名残と伝わっています。

水俣諏訪神社 クスノキ

ふるさと熊本の樹木マップ

水俣諏訪神社 オオクス群

境内

水俣諏訪神社 鳥居の扁額

水俣諏訪神社の境内を見渡しても、由緒などの掲示は見当たりません。

水俣諏訪神社 オオクス群

ネット上にもほとんど情報がなく、誰が諏訪大社を勧請したのかわかりませんでした。

水俣諏訪神社 境内

1300年代の創建とすると水俣城主は水俣氏であり、同氏が関わっていると推測されます。

水俣諏訪神社 境内

水俣城は、1460年に人吉城から進出してきた相良氏の支配下となりますが、すでにこのとき水俣諏訪神社は存在していたはずです。

水俣諏訪神社 石段と拝殿

奉納された石造建造物

水俣諏訪神社 拝殿

拝殿のようすです。

水俣諏訪神社 大きな手水鉢

現在メインで据えられる、大きな手水鉢です。

水俣諏訪神社 石灯籠と小さな手水鉢

石灯籠と小型の手水鉢。

水俣諏訪神社 現役で使われる小さな手水鉢

さらに、もうひとつの小さな手水鉢も現役です。

水俣諏訪神社 石灯籠

奉納された数々の石造建造物から、この地域で代々尊崇されてきたことがわかります。

水俣諏訪神社 石造建造物

社殿

水俣諏訪神社 拝殿

熊本県では、県北から県央にかけては圧倒的に阿蘇神社系が多く分布します。

水俣諏訪神社 社殿内の扁額

諏訪神社は、水俣芦北地区や天草地区に分布しています。

水俣諏訪神社 社殿

ご祭神は、建御名方神(たけみなかたのかみ)です。

水俣諏訪神社 本殿

諏訪神社はご祭神の名前から、薩摩藩領内に入ると南方神社とよばれています。

水俣諏訪神社 本殿

水俣諏訪神社の例大祭は、4月20日前後です。

水俣諏訪神社 社殿

濱八幡宮・陳内阿蘇神社の例祭とならび3連日で開催されます。

水俣諏訪神社 境内のクスノキ

水俣に春を告げる、水俣三社祭りといわれています。

水俣諏訪神社 境内の遊具

場所 熊本県水俣市長野町3-1

水俣諏訪神社 クスノキ

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