永久野かくれ念仏洞というは、 宮崎県小林市にある史跡です。
薩摩藩で禁止されていた一向宗の信徒が、 法座という集会をしていた洞窟になります。
一向宗の禁制
一向宗というのは仏教宗派の一つで、現在でいう浄土真宗のことです。
戦国時代の終わりごろ九州南部の薩摩藩や人吉藩では、一向宗を禁止しています。
一向宗では、 人間はみんな平等であると説いており、 当時の封建社会にそぐいませんでした。
越中 (現在の富山県) や加賀 (現在の石川県) では、権力による弾圧に抵抗して、一向宗門徒が一向一揆をおこしています。
聞き及んだ薩摩藩では、一向宗を危険視し弾圧がはじまっています。
1601年には、薩摩藩領内全域に正式に禁止令が出されています。
隠れ念仏とは?
一向宗もキリスト教と同じで、 藩の厳しい弾圧の中で、 こっそり信仰を続けた信者がいました。
信者の間では「講」 というネットワークが組織され、取次役を通じて本願寺とつながっていました。
山中の洞穴などで法座とよばれる集会を開き、講話を聴いたり念仏を唱えたりしていました。
こうした隠れて一向宗を信仰した拠点を、 最近になってかくれ念仏と表現しています。
一方、 肥後藩では一向宗は禁止されておらず、 国境の水俣市には真宗派寺院があります。
国境を越えて参詣することを、「抜け参り」 といっていました。
また、住んでいる土地を捨て、信仰の許されている藩へ集団で蜜出国することを 「逃散」や「駆落ち」 といいました。
かくれ念仏洞のうわさ
永久井野かくれ念仏洞には、この地域の一向宗信徒が夜な夜な集まっていました。
入口は大人がしゃがんでやっと入れる大きさです。
中は奥行が18m、幅が最大で6mあり、 50人ほど収容できるようになっています。
念仏洞にはあるうわさがあります。
- 洞穴の中から念仏が聞こえてくる
- 中に入ると闇の中に山積みの遺体が見える
天保の大弾圧
江戸時代の末期、薩摩藩では信仰を続ける一向宗信者を一斉に取締っています。
これを、天保の大弾圧といい、一説によると数十万人が捕らえられたといいます。
このとき、永久井野かくれ念仏洞は信者たちの潜伏場所となり、厳しい弾圧をものともせず周辺で教えを広めています。
しかし、天保の大弾圧下、 公式禁教令を堂々と破られたことが、薩摩藩の家老衆の逆鱗に触れます。
隠れ念仏詞は、薩摩藩の殲滅部隊に包囲されたといいます。
改宗に応じない信者たちは、洞内で厳しい拷問にさらされ半数以上が息絶えたと伝わっています。
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