志柿(しかき)小学校は、かつて熊本県天草市にあった公立小学校です。
現在も、木造校舎が残っています。
志柿町
志柿町は、天草上島の最西北部に位置する地域です。
天草瀬戸大橋の西岸に位置します。
北は有明海、南は山に遮られていて、陸路で天草上島へ渡る場合、必ず通過します。
1889年(明治22年)の町村制施行時の、志柿村と一致します。
本渡市と合併したのは、1954年(昭和29年)のことでした。
プール
校門入って、左手にプールを配します。
記念碑
右手に配するのは、閉校記念碑と創立百周年記念碑です。
鏡面仕上げの大きな閉校記念碑には、校歌が刻まれます。
志柿小学校はその142年間の歴史の中で、4,100名もの卒業生を輩出しています。
校舎
平屋建ての木造校舎が陽ざしを浴びています。
木造校舎は、以前からある校舎をそのまま使っていたものです。
東端に、RC構造2階建ての新校舎を配しています。
新旧校舎が完全な形で併存する、珍しい小学校です。
運動場
運動場には、サッカーボールが置かれていました。
照明設備こそありませんが、サッカーの練習場としてはいい具合に芝が育っています。
体育館
体育館は運動場の東端です。
天草市の第2時災害避難場所になっています。
まあ災害時に被災された方が、避難生活をする施設ということです。
平時はもちろん、地域の室内スポーツ施設として使われています。
沿革
天草市
1875年(明治8年) | 普明院内で創立 |
1926年(大正15年) | 現在地へ移転 |
1941年(昭和16年) | 志柿国民学校へ改称 |
1947年(昭和22年) | 志柿村立志柿小学校へ改称 |
1954年(昭和29年) | 本渡市立志柿小学校へ改称 |
2006年(平成18年) | 天草市立志柿小学校へ改称 |
2018年(平成30年) | 天草市立本宿東小学校を新設統合 閉校 |
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