早川厳島神社(そうがわいつくしまじんじゃ)は、熊本県甲佐町にある神社です。
境内の力士像は、江戸時代の肥後国出身力士・不知火諾衛門(しらぬいだくえもん)の横綱昇進を記念し寄進されたものです。
由緒
早川厳島神社は、771年阿蘇神社宮司・阿蘇惟信公が安芸国(現在の広島県) 厳島神社を勧請したものです。
室町時代から安土桃山時代には、 例祭で流鏑馬(やぶさめ)が行われていました。
ところが、豊臣秀吉の九州征伐で、神領が没収されると神事例祭は廃絶してしまいます。
さらに、キリシタン大名の小西行長が領主となると、社殿は焼き払われてしまいました。
再興は小西行長没後です。
赤い鳥居
2007年(平成19年)まで、 早川厳島神社は石造鳥居が立っていました。
同年襲来した台風4号により、石造鳥居は倒壊しています。
赤い鳥居が再建されたのは、 2012年 (平成24年)のことでした。
安芸国宮島の厳島神社の鳥居と同じ色です。
2016年 (平成28年)には、熊本地震に見舞われ鳥居は無事でしたが、 境内の建造物は被害を受けています。
ご祭神
宗像三女神をまつります。
主祭神
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
田心姫命(たごりひめのみこと)
湍津姫命(たぎつひめのみこと)
配神
推古天皇 (すいこてんのう)
猿田彦道祖神(さるたひこどうそしん)
子宝祈願塔
子宝祈願塔は、安産の守り石造です。
女性の方は合掌してから、静かに石造のおなかに手を当てます。
力士像
境内にある力士の石造は、江戸相撲の力士・不知火諾右衛門の活躍を期に寄進されたものです。
諾右衛門は、肥後国宇土轟村 (現在の宇土市) 出身で、 不知火型土俵入りの創始者として知られます。
1840年、 横綱に昇進し徳川家第11代将軍・徳川家慶の上覧大相撲を期に1体目を寄進。
さらに、地元児童たちの発憤祈願として再拝のさい、2体目が寄進されています。
以来、 例祭では氏子の児童相撲大会を開催していましたが、 現在は少子化により中止されています。
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