祁答院町立轟小学校 宇都郷の住民によって守られた石塔群
轟(とどろ)小学校は、かつて鹿児島県薩摩川内市祁答院(けどういん)町にあった公立小学校です。旧祁答院町では、大村、轟の両小学校を大軣(だいごう)小学校に統合しています。近くの墓地には、原口方柱塔婆・千手観音菩薩などの観音像群があり、この地域の歴史が感じられます。
轟(とどろ)小学校は、かつて鹿児島県薩摩川内市祁答院(けどういん)町にあった公立小学校です。旧祁答院町では、大村、轟の両小学校を大軣(だいごう)小学校に統合しています。近くの墓地には、原口方柱塔婆・千手観音菩薩などの観音像群があり、この地域の歴史が感じられます。
特攻百二十一震洋隊細島基地跡は、宮崎県日向市にある戦争遺構です。全国にあった特別攻撃艇「震洋」の出撃基地のひとつとなります。近くに「黒田の家臣」「御鉾ヶ浦公園」「御鉾ヶ浦海水浴場」「御鉾ヶ浦公園キャンプ場」があるので、日向観光のついでに訪れるといいスポットです。
薩摩永野駅は、かつて鹿児島県薩摩郡さつま町にあった国鉄宮之城線の駅です。近くに永野金山があり、大きな町であったため、宮之城~薩摩大口間の路線を結ぶ際、永野町を経由するように鉄道がつくられました。スイッチバック式の駅で、現在もシーサスクロスポイントが残されています。
永野金山は、かつて鹿児島県薩摩郡さつま町にあった金鉱山です。数百年続いた金山ですが、1965年(昭和 40年)に閉山しています。木造遺構は少なくなりましたが、石造やコンクリート造の遺構はまだ残っています。しかし、山間にある遺構は、すべてを自力では特定できませんでした。
福山小学校は、霧島市福山町福山にある現役の公立小学校です。この記事は、移転前の旧福山小学校について書いています。旧校舎のみならず、福山郷御仮屋跡・肥後の名石工が築いた石組・大隅線跡から続く廃寺大安寺と、興味がある方にとっては、みるべき遺構が目白押しのスポットです。
新留(にいどめ)小学校は、鹿児島県姶良市蒲生(かもう)町にある公立小学校です。2007年(平成19年)以来、休校しています。休校までの7日間をつづったCMが全国的に反響があったため、一度見てみたいと思っていました。あれから十数年経っていますが、小学校は健在でした。
屋形小学校は、かつて熊本県球磨郡山江村万江にあった村立小学校です。1988年(昭和 63年)に新設された万江小学校に統合されています。閉校後は、キャンプや水遊びにも利用できる屋形多目的集会施設としてリニューアル、一般に貸し出されています。
細島駅は、かつて宮崎県日向市細島にあった、JR貨物日豊本線貨物支線の貨物駅です。国鉄時代は、細島線の終着駅として、日向市駅との間で旅客営業もしていました。海の駅ほそしまは、細島線跡の延長線上にあり、さらに先は日向市漁協の漁港になっています。
泉第一小学校は、かつて八代市泉町下岳にあった公立小学校です。2014年(平成 26年)に、旧泉村の3小学校が統合し、泉小学校となっています。その際、泉中学校へ移転することで小中一貫校となりました。泉第一小学校には、閉校時まで 50 名以上の生徒が通っていました。
大馬越(おおまごし)小学校は、かつて鹿児島県薩摩川内市入来町にあった公立小学校です。旧入来町では2018年(平成 30 年)に、4 小学校のうち3校が入来小学校へ統合しています。これにより歴史ある大馬越小学校は閉校しています。
八角トンネルは、かつて南熊本駅から砥用(ともち)駅の間を走っていた、熊延鉄道(ゆうえんてつどう)の遺構です。名前の通り、断面が八角形になっています。熊延鉄道は、廃線から50年以上経過しています。ほぼ、原形をとどめる遺構は残っていません。八角トンネルは数少ない遺構です。
有明小学校は、かつて鹿児島県肝属郡肝付町にあった町立小学校です。肝付町発足前は高山町の小学校でした。有明小学校があるのは、波見地区です。志布志湾の南岸にあたる海岸沿いで漁業の盛んな地域です。有明小学校は、国道448号線から坂を上った山裾にあった小学校です。