高岡町立内山小学校は、かつて宮崎県宮崎市高岡町にあった公立小学校です。
学校跡地は、高岡町内山体育館となっています。
旧内山村の小学校
旧内山村は、宮崎市の西部に位置する小さな村でした。
1889年(明治22年)の町村制施行時に、周辺町村といっしょに高岡村になっています。
1920年(大正9年)に町制施行し、高岡町となりました。
宮崎市に編入されたのは、2006年(平成18年)のことです。
高岡小学校と統合
内山小学校は、1965年(昭和40年)に高岡小学校と統合し閉校となっています。
跡地は内山地区体育館となり、現在に至っています。
旧高岡町は宮崎市への通勤圏内であり、人口も増加していました。
しかし、町内の内山小学校と高岡小学校は、3.5kmしか離れていません。
そもそも、高岡小学校も内山地区内であったため、過疎化というよりも効率化のために両校を統合したものでしょう。
それと、敷地北側に迫る山の斜面が気になります。
この地形も学校を統合した一因なのかもしれません。
学校跡の変遷
現役時の内山小学校です。
閉校して10年後の航空写真です。
さらに2010年(平成22年)の航空写真を見ると、現存する体育館は閉校後に建てられたことがわかります。
内山体育館の東側に校舎がありましたが、現在は更地になっています。
見た感じでは、何にも使われていません。
運動場だった場所から、校舎跡をながめた構図です。
学校遺構
石碑があります
石碑には「内山公民館竣・・・」とあります。
1975年(昭和50年)の航空写真で、校舎跡にあった黄色い屋根の建物は公民館だったようです。
こちらは「教育を興そ・・」、昭和三十三年三月建立されています。
裏側を見ると、増築校舎落成と給食室移転の記念碑であることがわかります。
そして、左側には校歌が刻まれています。
先生と子供の石膏像も、内山小学校時代のものでしょう。
数少ない学校遺構です。
沿革
1965年(昭和40年) | 高岡町立高岡小学校と統合 閉校 |
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