田代八重(たしろばえ)ダムは、宮崎県小林市須木にある多目的ダムです。
宮崎県営のダムとなります。
ダムにつくまでは、人を寄せ付けないオーラを感じていました。
訪れてみると意外に開放的で、フレンドリーなオーラを感じました。
ギャラリー
管理所がやけにオシャレです。
管理所と田代八重発電所は、デザインの統一感があります。
ダムの管理人さんは住込みで常駐されてます。
下流はすぐ、綾北ダムのダム湖です。
左の橋は綾北川にかかる田代八重大橋です。
右側の谷は股川です。
上流部からみたダムです。
欄干には栗の絵が・・・
下流側には桜の絵が描かれています。
人を寄せ付けたくないオーラ
田代八重ダムは、大淀川水系綾北川の最上流につくられたダムです。
九州山地南部の山間にあり、アクセスルートは4つあります。
- 西米良村板谷から国道265号線で行くルート
- 小林市須木から国道265号線で行くルート
- 綾町から宮崎県道360号線で行くルート
- 多良木町槻木から熊本県道144号線で行くルート
国道265号線
田代八重ダムは、地図で見ると国道265号線沿いにあり、簡単に行けそうです。
しかし、国道265号線の中でも、宮崎県西米良村から小林市までが最も難所とされています。
離合困難な道路を、狭隘(きょうあい)道路といっています。
国道265号線のこの区間が、まさに狭隘道路です。
「酷道」と表現する人もいます。
2つの峠越えと、崖沿いに未改良の道路が延々と続きます。
大型車は通行止めです。
それより問題は道路工事です。
雨がまとまって降ると、のり面や路肩が崩落し、通れなくなります。
国道265号線の、小林から輝嶺峠(きれいとうげ)を越え、田代八重に至る区間は、もう何ヶ月も通行止めです。
2020年3月には、西米良村から田代八重に至る区間も、尾股峠が通行止めでした。
このときは、国道265号線を使って田代八重ダムへ行くのはムリでした。
宮崎県道360号線
一方、綾町から熊本県境へ至る区間は、宮崎県道360号線です。
こちらも、何ヶ月も通行止めになっています。
したがって、2020年(令和2年)3月の時点では、熊本県道144号線で行く以外の選択肢はありませんでした。
熊本県道144号線
ところが、熊本県側も工事をよくやってます。
時間通行止めになっていました。
幸い、日曜日は開放してあり、待ち時間なしで通行できました。
4ルートのうち3ルートが通行止めで、あと1ルートがかろうじて通れたということです。
田代八重ダムからは、人を寄せ付けないオーラをものすごく感じました。
田代八重地区
田代八重は、旧須木村の一部です。
水没前には、綾北川沿いに集落がありました。
1976年(昭和51年)の航空写真です。右端あたりにダムができました。
まんなかあたりの平坦地に田代八重小学校がありました。
以前は営林署の事務所があり、職員は家族とともに田代八重に住んでいました。
小学校の分校も、1966年(昭和41年)には、田代八重小学校として独立しています。
しかし、1974年(昭和49年)に営林署の事務所が、中原地区へ移転します。
これによって一気に人口が流失、同年に小学校は廃校になっています。
集落のダム水没は、2000年(平成12年)です。
田代八重小学校の廃校は、ダム水没が原因ではありませんでした。
ダムの貯水量が減ると、小学校跡の平坦地が現れます。
現在の田代八重地区はどうなっているのか、気になったので調べてみました。
2018年(平成30年)3月の住民基本台帳によると、田代八重地区の住民は1世帯1名となっています。
田代八重小学校沿革
1941年(昭和16年) | 須木国民学校綾北分校として創立 |
1947年(昭和22年) | 須木村立須木小学校綾北分校へ改称 須木村立須木中学校綾北分校を併設 |
1966年(昭和41年) | 中学校分校を閉校 須木村立田代八重小学校として独立 |
1974年(昭和49年) | 閉校 |
田代八重ダム諸元
名称 | 田代八重ダム |
場所 | 宮崎県小林市須木中原110 |
水系 | 大淀川 |
河川 | 綾北川 |
型式 | 重力式コンクリート |
事業者 | 宮崎県 |
施行者 | 大林組・間組・坂下組 |
ダム湖 | – |
目的 | 洪水調整/かんがい用水/上水道/発電 |
最高出力 (発電) | 5,800kw |
堤高 | 64.6m |
堤頂長 | 216.0m |
堤体積 | 212千㎥ |
流域面積 | 131.5㎢ |
湛水面積 | 102ha |
総貯水容量 | 19,270千㎥ |
有効貯水容量 | 14,270千㎥ |
着手/竣工 | 1971/1999 |