槻木四所神社(つきぎししょじんじゃ)は、熊本県球磨郡多良木町の下槻木地区にある神社です。
真言宗の総本山、紀州伊都郡の高野山の祭神を勧請したものといわれています。
このあたりの集落名が、大師ということからも、弘法大師との関係の深さがうかがわれます。
下槻木地区
球磨郡から槻木地区へ行くには、山深い峠を越える必要があります。
今でこそ、車なら30分で行けますが、車のない時代は1日がかりでした。
槻木川は太平洋に流れ込みます。
地形的にみれば、山の尾根を国境とすることが多いと思います。
しかし、槻木地区はかなり以前から多良木との関係が深かったようです。
真言宗を保護した相良氏にとって、島津氏との領土争いのうえで、槻木地区は重要でした。
このため、弘法大師にかかわるものが、この地に多く残ったともいわれています。
下槻木地区は、宮崎県境の集落であり、領土争いでも最前線であったと考えられます。
ご祭神
槻木四所神社の祭神は、高野山の守護神、丹生都比売(にふつひめ)一神とされています。
紀州国の高野山の、丹生都比(にふつひめ)神社と同体との説明があります。
しかし、丹生都比神社は、丹生四所明神といって四柱を祀っています。
槻木四所神社と同じ敷地内、社殿のすぐ前には熊野座神社があります。
通常、四所神社といえば、熊野四所明神や丹生四所明神を指します。
また、四所神社のとなりには、お大師堂があります。
お大師堂に伝わる伝説では、弘法大師つまり空海は、九州に88か所のお寺を作って回ったとされています。
槻木大師堂は、40番目に作られたといわれます。
四所神社は、819年に空海が丹生比売を勧請したものと伝えられます。
しかし、槻木地区の相良氏以前の歴史は、文献がなくよくわかっていません。
これは一説ですが、丹生比売を勧請する前に、この地にはすでに熊野座神社がありました。
熊野3神と合わせて、四所神社となったという説もあります。
歴史
前述のように、くわしくはわかっていません。
一般的に知られているできごとは以下の通りです。
819年 | 空海により勧請 |
1428年 | 再興 |
1522年 | 社殿建替え |
1590年 | 本殿修復 |
1964年(昭和39年) | 多良木町の重要文化財に指定 |
神面
四所神社には6個の神面が伝わります。
神面は、室町時代初期、1394年〜1468年(応永年間から応仁年間)の作と推定されています。
神面としては、熊本県最古のものです。
1961年(昭和36年)、神面は多良木町の重要文化財に指定されています。
うち女面1個は、1969年(昭和44年)に熊本県の重要文化財に指定されました。