秋時観音 (あきときかんのん) 堂は相良三十三観音霊場の30番札所になります。
ご主尊の十一面観音菩薩立像は 「ぼけ封じ」にご利益があるといわれています。
秋時観音
観音堂には3像が安置されています。
- 十一面観音菩薩立像
- 毘沙門天像
- 天部形立像
ご主尊の十一面観音菩薩立像は、1300年代、南北朝時代から室町時代前期の作と推定されています。
台座は1788年に作られたものということがわかっています。
1839年には3像ともに彩色補修をしています。
最近では1977年(昭和52年)に彩色補修がされています。
両脇の毘沙門天像と天部形立像は室町時代の作品と言います。
1999年(平成11年)3像ともにあさぎり町(旧上村)の重要文化財として指定されています。
永里城
十一面観音像は、永里城の菩薩寺であった珠宝寺のご本尊であったという記録があります。
永里城というのは、秋時観音堂の約500m南にある花牟礼山にあった山城です。
永里城は南北朝時代にはすでにあったといいます。
もともと永里氏の居城でしたが、1448年に相良氏の庶家(親戚)永富氏に敗れ、城主の座を明け渡しました。
その後、球磨郡統一の過程で、たびたび城主が入れ替わります。
1526年に起こった乱により、永里城最後の城主、落合氏が敗れると城としての機能はなくなったといいます。
珠宝寺
珠宝寺 は永里城の菩薩寺で、場内にあったといいます。
永里城最後の城主、落合氏が退城した後、珠宝寺のご本尊を秋時観音堂に移したのであろうと推定されています。
秋時諏訪神社
秋時観音堂の駐車場のとなりに鳥居があります。
この鳥居が諏訪神社の参道入り口の目印です。
建立された年代や時期はよくわかっていません。
地元では、上村氏初代頼村の建立と伝えられているようです。
1586年に火災に遭い翌年再興、1599年に相良家の家臣、相良清兵衛により改造されたとの記録があるようです。
1815年には遷座して造り替えています。
最近では、2004年(平成16年)、覆屋の葺き替えをしています。
1982年(昭和57年)あさぎり町(旧上村)の重要文化財に指定されています。
まとめ
秋時観音は「ボケ封じ」にご利益があることで有名です。
また、観音様がご開帳される秋の彼岸には、健康祈願に多くに人が訪れます。
妊婦や家畜を守ってくださることでも有名です。
秋時観音は相良三十三観音霊場の30番札所になります。
相良三十三観音巡りは、日本遺産人吉球磨の構成文化財38番となっています。
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