天岩戸(あまのいわと)神社は、宮崎県高千穂町にある神社です。
岩戸川をはさみ、東本宮と西本宮が鎮座しています。
由緒
東本宮の上流にある天岩戸は、日本神話の天岩屋(あまのいわや)といわれていて、天岩戸伝説の舞台です。
東本宮と西本宮は、両社とも天照大御神(あまてららすおおみかみ)がご祭神です。
歴史的には別々の神社で、東本宮は「氏神社」、さらに古くは「天磐戸大神宮」といいました。
一方、西本宮を「天磐戸神社」といっていましたが、1970年(昭和45年)に合併しています。
東西両本宮とも創建以来、皇室や朝廷からではなく、地元住民からの信仰をもとに発展しています。
東本宮
本来の信仰の中心は、天岩戸側にある東本宮だったと考えられています。
しかしながら、急斜面にある天岩戸は東本宮から見ることができません。
社殿の裏には、ご神水と大神宮の祠があります。
さらに進むと七本杉をみることができます。
杉は枝分かれして七本以上あるようにみえますが、根元を見ると七本です。
ご祭神
天照大神の別名で、皇祖神であることを示すご神名です。
西本宮
現在の社務所は西本宮に置かれていて、多くの観光客が訪れるのは西本宮です。
神職の方が、30分おきに天岩戸が見える遥拝所へ案内してくれます。
なお、天岩戸周辺の神域を撮影することは禁じられています。
八百万の神々が集まったという天安河原へも、西本宮から行きます。
ただ歴史的に見ると、西本宮は天岩戸を拝むための遥拝所としての性格が強かったといわれています。
ご祭神
大日孁尊は、天照大神(あまてらすおおみかみ)の別名です。
岩戸川対岸の断崖中腹にある、天岩戸とよばれる岩窟がご神体となります。
拝殿となりの御旅所には、7柱の配祀神がまつられます。
- 天鈿女命(あめのうずめのみこと)
- 手力男命(たじからおのみこと)
- 大年神(おおとしのかみ)
- 素盞嗚尊(すさのおのみこと)
- 日子穗穗手見命(ひこほほでみのみこと)
- 豊玉毘売命(とよたまひめのみこと)
- 菅原道真公(すがわらみちざねこう)
天岩戸伝説(あまのいわとでんせつ)
神代(かみよ)のころ、神々は高天原(たかまがはら)で暮らしていました。
太陽神である天照大御神(あまてらすすめおおみかみ)は、弟の素盞嗚尊(すさのおのみこと)の暴れ振りに腹を立て天岩戸に隠れました。
太陽神が隠れたことで世の中は真っ暗になり、食べ物が育たなくなったり、病気が蔓延したりと大変なことが次々と起こります。
八百万の神々は、天安河原(あまのやすかわら)に集まり対応策を練ります。
まず、長鳴鳥(ながなきどり=現在の鶏)を鳴かせてみますが、天岩戸の扉は開きません。
次に、天鈿女命(あめのうずめのみこと)が、招霊(おがたま)の木の枝を手に舞い、回りでほかの神々で騒ぎ立てます。
すると、天岩戸の中の天照大御神は考えます。
「外は真っ暗で、みんな困って居るはずなのに、みんな楽しそうに騒いでいる。これはどうした事か?」
不思議に思った、天照大御神は天岩戸の扉を少し開けて外の様子をうかがいました。
神々は、「あなた様より美しく立派な神がおいでになりました。」と騒いでいる理由を伝えます。
「お連れします。」と言い、鏡で天照大御神の顔を写しました。
自分の顔だと分からなかった天照大御神(あまてらすおおみかみ)は、もう少しよく見てみようと扉を開いて体を乗り出しました。
その時、思兼神(おもいかねのかみ)が天照大御神の手を引き、岩の扉を手力男命(たぢからをのみこと)が開け放ちます。
ようやく天照大御神が天岩戸から出て、世の中に光が戻りました。
暴れた素盞嗚尊は反省し、天岩戸の里をはなれ出雲国(現在の島根県)に行き、八俣大蛇(やまたのおろち)退治しています。
天安河原(あまのやすかわら)
天岩戸伝説で神々が策を練った場所が、天安河原です。
西本宮から岩戸川沿いを少しさかのぼると見えてきます。
地図を確認せず場所がよくわからなくても、大勢の観光客について行けばたどり着きます。
途中には、スイーツの誘惑が待っています。
関連記事
【関連記事】高千穂神社 九州有数のパワースポット高千穂の総社