荒田観音堂は在地豪族平河氏が関与していたといいます。
しかし、平河氏は相良氏に滅ぼされています。
相良家初代長頼は、この敵将平河氏を祀るため、荒田大王神社を建立しました。
大王さん
鎌倉時代、荒田大王神社のある錦町木上地区は平河氏の本拠地でした。
平河氏は人吉の地頭として入国した相良氏に「血敷原の戦い」で敗れました。
相良長頼は、平河氏の怨霊を鎮めるため、荒田大王神社を造りました。
平河氏の遺徳を偲ぶ領民からは、「大王さん」とよばれ祀られたといいます。
マムシ除けの神様
平河右衛門義高は、白馬に乗ってキビ畑を通っていたときに、マムシが飛びかかり白馬の足に食いつきました。
落馬しキビの穂で目を傷めた義高は腹を立て、家来に村中のマムシ狩りを命じました。
そして、ついに一匹残らず退治したという逸話が残ります。
このため、この地にはマムシが住みつかず、マムシにかまれたときは荒田大生神社にお参りすれば治るといわれました。
また、この件以降、木上地区では白馬は育たなくなり、キビやトウキビは栽培されなくなったそうです。
「神社由緒記」によると、荒田大王神社はマムシ除けの神様として尊崇されていたとあります。
マムシには境内の土が一番効果があるといわれ、神社の床下の土をお守りとして持っていくものが多かったと伝えています。
荒田観音堂の釈迦如来像
荒田大王神社の隣の荒田観音堂には、木造の釈迦如来坐像が座しています。
像の胎内には墨書で、保延(ほうえん)7年と書かれていることから、平安時代の仏像であることがわかっています。
保延7年は西暦でいうと、1147年になります。
荒田大王神社ができたのは1200年代前半といわれています。
日本遺産人吉球磨 46 48
荒田大王神社は、2017年(平成29年)に日本遺産人吉球磨の構成文化財46番として追加されています。
社殿は町指定の有形文化財です。
荒田観音堂の釈迦如来像も同様に、日本遺産人吉球磨の構成文化財48番として追加されました。
彫刻は県指定の重要文化財です。
場所 熊本県球磨郡錦町木上東
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