古田阿蘇神社は、熊本県八代市坂本町にある神社です。
旧下松求麻村に鎮座し、旧社格は郷社となります。
球磨川下流域
古田阿蘇神社が鎮座するのは、 球磨川下流にある遥拝堰のすぐ上流です。
国道219号線から見ると対岸になります。
熊本県道158号中津道八代線は、球磨川の堤防を兼ねています。
2020年(令和2年)7月の熊本県南部豪雨では、球磨川の水は堤防を越えました。
古田阿蘇神社の境内平地で90cm の浸水といわれています。
社殿は少し高い位置にあるため、被害を免れています。
壊滅的な被害を受けた肥薩線は、2020年 (令和2年)7月から運休中です。
由緒
古田阿蘇神社の歴史は古く、 天平神護年間 (765-767年)の創建となります。
900 年に現在地へ遷座しています。
キリシタン大名・小西行長が宇土・八代 葦北を所領としていた時、 寺社仏閣を焼き討ちしています。
古田阿蘇神社も社殿を失いました。
加藤清正が肥後国主となった後、 古く由緒ある神社として社殿を再建しています。
現在の社殿には、 1809 年と 1846年の棟札が残ります。
八代市内で現存する最も古い社殿とされます。
鳥居
境内には石造鳥居が立ちます。
1696年に、肥前国 (現在の佐賀県と長崎県)の石工・村山兵太夫が建てたものです。
八代市内に現存する、最古の鳥居とされます。
ご祭神
健磐龍命(たけいわたつのみこと) 他3柱
古田阿蘇神社は、阿蘇十二神のうち4柱をまっつています。
特徴的な石燈篭
古田阿蘇神社には、特徴的な石柱が数本立ちます。
河川は河口に近づくにつれ、小さく摩耗した石が多くなります。
球磨川の河原の石を使ったものと考えられます。
銘板は破損してすべては読めません。
八代市坂本町が、下松求麻村(しもまつくまむら)時代に、 公立小学校の職員が寄進したものです。
下松求麻村は、1961年(昭和36年)、坂本村の発足で消滅しています。
関連記事
【関連記事】新幹線の見える憩いの広場 走る新幹線の近くでスピードを体感
【関連記事】八代神社 八代地方最大の祭礼妙見まつりで知られる妙見さん
【関連記事】肥後国神名帳令和版 熊本の神社を一覧表にしてわかったこと