井沢熊野座神社は、球磨川と川辺川の合流点、球磨川第四橋梁の少し上流に鎮座します。
地元の人は「権現(ごんげん)さん」と呼び親しんでいます。
権現(ごんげん)さん
井沢熊野座神社は別名、「井沢権現社」ともいいます。
地元の人は、「ごんげんさん」とよんでいます。
相良氏入国前にこの地を治めていた、平川氏が建立しています。
球磨郡神社記によれば、1359年に人吉藩第6代相良定頼が再興したとあります。
以降、相良氏によって代々保護されてきました。
1562年には人吉藩第18代相良義陽が、領内の泰平を祈願し、ご神体を奉納したとの墨書が残ります。
人吉球磨地域最古の社殿
1542年に再建された中央殿は、神社社殿としては人吉球磨地域で最古の建物です。
左右の脇殿は1562年ころの建築と推測されています。
井沢熊野座神社は、戦時中に海軍飛行場建設にため、台地の下に移転を余儀なくされました。
樹木も伐採され、境内の地形も改造されました。
社殿が現在の場所に戻されたのは1985年(昭和60年)のことになります。
日本遺産人吉球磨
1998年(平成10年)建造物は県の重要文化財に指定されています。
2017年(平成25年)日本遺産人吉球磨の構成文化財17番となっています。