樋合小学校は、かつて熊本県上天草市松島町にあった公立小学校です。
天草諸島の離島・樋合島にあった小学校ですが、現在は船を使わずに行くことができます。
樋合島
樋合島は周囲 5 km、面積0.8 ㎢の有人島です。
大矢野島と上天草島の間に位置し、天草五橋の2号橋と3号橋の間にある、永浦島と橋でつながっています。
樋合島と永浦島の間は60mしか離れていないので、陸続きのように感じますが別々の島です。
面積は永浦島のほうが広いのですが、小学校が置かれたのは樋合島でした。
校舎
樋合小学校は2010年(平成22年) に、天草上島にある今津(いまつ)小学校と統合しています。
跡地には、鉄筋コンクリート造2階建ての校舎が残っています。
樋合小学校の看板も掲げられたままです。
校章も残っていました。
少し敷地内へ入ったところに玄関があります。
2階建ての主棟はL字型で、コンパクトにまとまっています。
L字の間に、平屋建ての副棟がありました。
運動場側から見ると、その構造がよくわかります。
記念碑
閉校記念碑と、創立100周年記念碑が並んでいます。
閉校記念碑の前には、ランドセルを背負いバットを肩に担げた小学生の像が建てられています。
記念碑には海側から見た樋合小学校と校歌が描かれています。
創立100周年記念碑は、ひとまわり大きく存在感があります。
書は時の県知事・沢田一精氏によるものです。
碑文は別途、独立した石碑に書かれています。
さらに別に、関係者の書かれた石碑がありました。
運動場
運動場は山を削り、広さを確保してあります。
小学校当時から使われていたであろう体育倉庫です。
山を削った場所の、のり面です。
西側は低山ですが、森になっています。
校舎方向に振り返った構図です。
南九州の海の学校といえば、ソテツがつきものです。
ソテツの横にあるのは、コンクリート製の国旗掲揚台です。
まとめ
1966年(昭和41年)の天草五橋の開通までは、樋合島はもちろん周辺の島々はすべて離島でした。
陸路でつながった樋合島は、環境が一変することになります。
今では普通に車で往来できるため、全く離島と意識することはありません。
樋合小学校の前の道路には、海の守り神「えびすさま」が脇侍(きょうじ)とともに座っていました。
沿革
1875年(明治8年) | 第五学区十八番中学区第三十一番小学区設置の樋合分教場として創立 |
1892年(明治25年) | 今津小学校樋合分教場へ改称 |
1898年(明治31年) | 今津尋常小学校樋合分教場へ改称 |
1902年(明治35年) | 今津尋常高等小学校樋合分教場へ改称 |
1941年(昭和16年) | 今津国民学校樋合分校へ改称 |
1947年(昭和22年) | 今津村立今津小学校樋合分校へ改称 |
1955年(昭和30年) | 松島村立今津小学校樋合分校へ改称 |
1956年(昭和31年) | 松島町立今津小学校樋合分校へ改称 |
1959年(昭和34年) | 松島町立樋合小学校として独立 |
2004年(平成16年) | 上天草市立樋合小学校へ改称 |
2010年(平成22年) | 上天草市立今津小学校へ統合 閉校 |
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