上北(かみきた)小学校は、かつて熊本県上天草市大矢野町にあった公立小学校です。
その歴史140年のうち、110年を賤之女(しずのめ)分校として過ごしています。
上村とは?
上川(かみむら)というのは、大矢野島の北西部に位置していた村です。
1954年(昭和29年)に、大矢野島3ヶ町村(登立町、上村、中村)は、湯島村、維和村と合併し、大矢野町になっています。
創立以来、上小学校の賤之女 (しずのめ) 分校としての位置づけが長く続きました。
上北小学校として独立したのは、1982年(昭和57年)のことです。
高低差のある敷地
校内へは、アーチ式の門が出迎えます。
2階建ての校舎が2棟あるのですが、地形上高さがちがいます。
2棟は、傾斜のある渡り廊下でつながります。
校門への階段も、この高低差があるためです。
アーチ式校門の前には、石造門柱が残っています。
そして、校舎に貼られていた座標の原標です。
例によって航空写真で確認すると、校舎の配置が現在と全く違うことがわかります。
敷地内にプールや体育館を配置したので、一段低い土地も活用した感じです。
しかし、運動場のスペースがなくなっています。
校内の様子
航空写真からは1975年(昭和50年)以降に、周辺に住宅が建ちならんだのがわかります。
上北小学校が本校となったのが1982年(昭和57年)ですから、この時期と一致します。
当然、分校ではありえない規模の校舎となっています。
現在も周辺には住宅は残っていますし、交通量もあります。
ただし、子育て世代の流出と少子化は、全国どこでも同じです。
上北小学校は、かつての本校だった上小学校と統合しています。
校舎と体育館の間が校庭になっています。
校庭には遊具が置いてあります。
中でも気になったのが、子豚のオブジェです。
この子豚オブジェは、上北小学校以外では見たことがありません。
体育館と校舎をつなぐ、渡り廊下です。
敷地最奥の倉庫は、パールラインマラソン大会の備品庫として使われていました。
倉庫のとなりがプールです。
夏場は草が茂り、近づくのが厳しくなっています。
プール本体の写真は、うまく撮影できませんでした。
閉校記念碑
閉校記念碑があるのは、南門側です。
デザインも碑文も、かなり手の込んだ記念碑になっています。
上部のアーチと、校舎の入った玉が印象的です
体育館は、閉校後も社会教育の現役施設です。
沿革
1872年(明治5年) | 磯之平の掘立小屋で創立(沿革碑によると1851年創立) |
1876年(明治9年) | 上村小学校賤之女分教場となる |
1879年(明治12年) | 上村・中村組合立大野尋常小学校訪原分教室へ改称 |
1905年(明治38年) | 上村尋常小学校賤之女分教場へ改称 |
1914年(大正3年) | 現在地へ移転 |
1918年(大正7年) | 上村高等尋常小学校分教場へ改称 |
1941年(昭和16年) | 上国民学校賤之女分校へ改称 |
1947年(昭和22年) | 上村立上小学校賤之女分校へ改称 |
1954年(昭和29年) | 大矢野町立上小学校賤之女分校へ改称 |
1982年(昭和57年) | 大矢野町立上北小学校として独立 |
2004年(平成16年) | 上天草市立上北小学校へ改称 |
2012年(平成24年) | 上天草市立上小学校へ統合 閉校 |
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