平松神社は、鹿児島市吉野町にある神社です。
社地は心岳寺という寺院の跡になります。
心岳寺
心岳寺は、島津歳久公の菩薩寺として、兄の島津義久公が建てたものです。
以降、島津歳久公の命日、旧暦の7月18日とその前日には多くの拝観者が訪れることになります。
これを、心岳寺参りといいます。
現在の国道 10号線となる街道はなく、鹿児島港から船で拝観者をピストン輸送していました。
のちの廃仏毀釈によって、1869年(明治元年)に、平松神社へと変わりました。
心岳寺参りは、明治以降も続けられ、多くの参拝者が訪れていました。
境内下を通る国鉄日豊本線には、心岳寺参りの時期になると心岳寺仮乗降場が設けられていました。
島津歳久
島津歳久公は、日置島津家の祖、島津貴久の三男になります。
時は戦国時代、島津家の勢力拡大のため各地で武勲を挙げた武将です。
1562年、26歳から44歳になるまでの18年間、平松神社近くの吉田城を居城として過ごしています。
その後、祁答院虎居城に入りました。
地元では「金吾さあ」とよばれ慕われていました。
豊臣秀吉の九州討伐
豊臣秀吉の九州征伐の際、兄の義久公は抗戦論、歳久公は講和論者でした。
それは、歳久公が秀吉を「だたものではない」と見抜いていたからです。
戦況が進み、義久公が講和に傾くと、歳久公はこの状況で降伏すべきでないと抗戦を主張しています。
歳久公討伐
豊臣秀吉の朝鮮出兵のときも、歳久公は病気を理由に出兵していません。
こうした歳久公の一連の言動が、秀吉からは反抗的であるとみられ怒りをかってしまいます。
歳久公の兄、島津義久公は、やむを得ず歳久公の討伐を行うことになります。
その結果、現在の平松神社の鳥居付近に上陸した歳久公は、従臣 27 人とともに自害に追い込まれました。
1592年、享年56歳でした。
これは、のちに豊臣秀吉が島津氏の分断を狙ったものと考えられています。
歳久公の跡継ぎの常久公は、冷遇されるどころか日置領9000石を持たされています。
島津義久公の歳久公征伐は、本望でなかったことがわかります。
300年も離れていた心体
歳久公の首は、秀吉の討伐軍によって京都に持ち帰られ、一条橋にさらされました。
一条橋は本来、強盗などをした罪人がさらし首になる場所でした。
歳久公のいとこの島津忠長がちょうど京都にいて、義久公の首がさらされているのを見つけています。
忠長は義久公の首を盗み出し、京都の浄福寺に埋葬しました。
一方、胴体は帖佐の総禅寺に埋葬されました。
さらに、霊は島津家の菩薩寺であった、福昌寺とここ心岳寺で供養されています。
さらに昭和の初めごろに、日置島津家の菩薩寺だった大乗寺跡へ改葬されました。
そして、歳久公の死から二百数十年がたった、1872年(明治5年)のことです。
日置島津家の子孫が京都から首を持ち帰り、胴体とともに平松神社へ改葬しています。
さらに昭和の初めごろに、日置市島津家の菩薩寺だった大乗寺跡へ改称されました。
境内
平松神社には駐車場がありません。
国道10号線の路肩に駐車します。
そして JR の線路を横切って鳥居に向かいます。
仁王像
鳥居横の仁王像は単体です。
一対がないのは、廃仏毀釈によるものなのか、自然災害によるものなのか定かでありません。
島津歳久公の墓
社殿の横に義久公のお墓があります。
ほかにも、一緒に亡くなった 27名の従臣のお墓があります。
それから、心岳寺歴代僧侶のお墓もここです。
ご祭神
碧空蔵岳彦命(あおぞらいずたけひこのみこと)
ご祭神はもちろん、歳久公ご本人となります。
寺山・平松古道
あまり知られていませんが、心岳寺時代は山の上の寺山地区にも檀家がいたとか。
平松神社から、寺山ふれあい公園へは古道が続いています。
古道は約4.5 kmの距離ですが、山道のためトレッキングの装備が必要です。
まとめ
平松神社は、桜島を望む風光明媚な場所です。
しかし、街道は山の上を通っており、海沿いには道がありませんでした。
盛んだった心岳寺参りも、戦後になると参拝者が急に少なくなっています。
それでも、周りには集落があり氏子もいたといいます。
今となっては、集落もなくなり氏子もいない神社となってしまいました。
現在の住職さんは、島津氏の子孫である島津孝久さん(@hiramatsuzinjya)です。
貴重なお話をうかがいました。
住職不在の期間を経て住職を引き受けられたそうで、社に入ったときは草木に覆われていたそうです。
境内や古道の整備を行い、これから本格的な再興を果たしたいとの熱意を感じました。
しかしながら、総代も何も氏子がいない中、ボランティアの方たちの協力による運営となっているそうです。
国鉄の心岳寺仮乗降場の記録から、心岳寺参りの際には2日間で3万人もの人が訪れていたことをお聞きしました。
伊集院にも島津義弘公を想い、命日に菩薩寺となる妙円寺を参る風習があります。
妙円寺参りには、現在でも5万人もの人が集まっています。
心岳寺参りを盛り上げることで、妙円寺参りと同じような年間イベントになる可能性を秘めていると感じました。
何より島津歳久公のことを調べると、平松神社にお参りしたくなるはずです。
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