祝子川(ほうりがわ) 小中学校というのは、かつて宮崎県延岡市 (当時は北川町)にあった、公立学校です。
その名の通り、祝子川の上流域を校区とした学校でした。
祝子川
その昔、山幸彦こと火遠理命(ほおりのみこと)が、祝子川の水を産湯として使われたという伝承からその名がついています。
祝子川小学校および祝子川中学校は、その河川名をそのまま学校名として冠しています。
祝子川観光マップ
道路沿いの壁面には往時の生徒が書いた、祝子川の観光案内マップが掲示されています。
落水の滝。
祝子川キャンプ場と祝子川渓谷。
祝子川温泉。
大崩山(おおくえやま)。
こうして並べると、名所が連なる観光地です。
漂う秘境感
延岡駅から上祝子まで走っていた路線バスは、全国的にも秘境バスとして知られていました。
そのバス路線も 2022年 (令和4年)で廃止されています。
祝子川沿いの県道 207 号線の道幅がせまいのもありますが、さらに秘境感を醸し出すのはその距離です。
祝子川小中学校跡地から、北川小学校や北川中学校までは、車で45分ほどかかります。
歩くと峠越えで片道5時間ほどかかるはずです。
閉校は、旧校区からの徒歩通学ができないことを意味していました。
校舎は解体済
祝子ダムの上流にある跡地には、当時の校舎は残されていません。
しかし、体育館をはじめ運動場やプールが残されています。
敷地の大部分が往時の姿をとどめています。
学校遺構
正門の門柱が残されます。
門柱から外された表札のプレートは、閉校記念碑の礎石に埋め込まれています。
2003年 (平成15年)、小学校・中学校が同時に閉校しています。
体育館は道路より高い位置にあり、校門からは階段を登ります。
校門から入ってすぐの空き地が校舎跡です。
奥に運動場、さらにその先がプールでした。
上祝子の文教地域
近くには、旧教員住宅を利用したキャンプ施設があります。
さらに、となりの保育園跡地には、遊具や園舎が残されています。
付近が、就学前から中学校までの、保育教育施設が集中する、文教地区だったことがわかります。
沿革
祝子川小学校
1877年(明治10年) | 創立 |
1895年(明治28年) | 下赤小学校分教場として編成 |
1900年(明治33年) | 祝子川尋常小学校として独立 |
1941年(昭和16年) | 祝子川国民学校へ改称 |
1947年(昭和22年) | 北川村立祝子川小学校へ改称 |
1972年 (昭和47年) | 北川町立祝子川小学校へ改称 |
2002年(平成14年) | 休校 |
2003年 (平成15年) | 閉校 |
祝子川中学校
1947年 (昭和22年) | 北川村立北川中学校祝子川分校として創立 |
1967年 (昭和42年) | 北川村立祝子川中学校として独立 |
1972年 (昭和47年) | 北川町立祝子川中学校へ改称 |
2003年(平成15年) | 北川町立5中学校を北川中学校へ統合・閉校 |
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