江戸時代、五木村には東俣と西俣それぞれに阿蘇神社がありました。
五木村の民衆との結びつきを重視する人吉藩主が代々参詣した神社といわれています。
頭地代替地
五木村の中心部となるのが頭地地区です。
かつての頭地地区は川辺川沿いに広がっていました。
川辺川ダム建設計画により、村の中心部が水没予定地となったため近くの山腹を造成し、代替地を用意しました。
この代替地を頭地代替地とよび、旧頭地地区と区別していました。
1993年(平成5年)頭地代替地の造成工事がはじまりました。
2000年(平成12年)より建物の建設工事がはじまります。
2001年(平成13年)一般住宅の入居がはじまります。
2002年(平成13年)役場庁舎が移転しました。
2003年(平成14年)小学校が移転しました。
2004年(平成15年)道の駅、物産館、温泉館、交流施設などの営業がはじまりました。
2007年(平成18年)中学校、高校が代替地へ移転し、ほとんどの機能が代替地への移転しました。
この時点で、頭地代替地を代替地と呼ぶ必要はなくなったのだと思います。
熊本県知事が川辺川ダム建設反対を表明したのは、2008年(平成19年)のことでした。
現在の頭地(代替地)です。旧頭地地区の中心部は造成された盛土の下に埋まっているあたりと思います。
1976年(昭和51年)の頭地地区の空撮写真です。
旧頭地の川辺川にかかる頭地橋です。親柱には大正15年(1926)竣工と書いてあります。
看板を見ると、昭和47年(1972年)には、水没予定地内での建物の新築や改築は制限されていたようです。
旧頭地地区の一般住宅の解体は、ほぼ終わっています。
頭地発電所はまだ営業を続けているみたいです。
東俣・西俣阿蘇神社
806年〜809年、大同年間。平安時代前期の創建といわれています。
相良氏は五木の民衆との結びつきも重視し、代官を東俣阿蘇神社へ派遣していたそうです。
そして歴代当主も自ら参詣していたとの記録が残っています。
2004年(平成16年)、東俣、西俣、白木神社は合祀されています。
川辺川ダムにより水没する3社を、頭地代替地へ遷座する際、合祀したものです。
遷座後は五木阿蘇神社と表記されているようです。
ご祭神は、建磐龍命(たけいわたつのみこと)、妃阿蘇津媛命(あそつひめのみこと)、 国造速甕玉神(くにのみやつこはやみかたまのみこと) 、いわゆる阿蘇三神です。
ご祭神からも、ルーツは阿蘇神社であることがわかります。
2015年(平成27年)日本遺産人吉球磨の構成文化財14番となっています。
東俣阿蘇神社のご神殿です。
西俣阿蘇神社のご神殿です。
こちらは合祀後のご神殿です。