小田浦(こだのうら)小学校は、かつて熊本県芦北町にあった公立小学校です。
ニワトリの飼育小屋に、小学校時代に飼っていたニワトリの説明板が残っていました。
記念碑群
小田浦小学校の、最寄り駅は肥薩おれんじ鉄道の肥後田浦駅です。
駅裏一帯には、東海カーボンの田ノ浦工場が広がっています。
2005年(平成17年)までは、田浦町の小学校でしたが、市町村合併により芦北町の小学校となっています。
校名の表札も芦北町立小田浦小学校となっていました。
校門を入るとすぐに記念碑が建てられています。
まずは、創立(独立)二十周年の碑です。
次に並ぶのが閉校記念碑です。
田浦はみかんの産地であるため、閉校記念碑もみかんの形をしています。
閉校記念碑の碑文です。
最後に「岩水園・流水園の由来碑」です。
碑文から読み取ると、校庭造園のため校長自ら玄武岩を採取に出向いたところ、事故で殉職されたということです。
1966年(昭和41年)のできごとでした。
小田浦地区生涯学習センター
田浦小学校跡には、閉校時の姿がほぼそのまま残されています。
というのも、学校跡が小田浦浦地区生涯学習センターとして受け継がれたためです。
訪れた日は、女性の方お二人がグラウンドでグランドゴルフの練習をされていました。
閉校後、10年以上経過しているにもかかわらず、小学校時代の掲示物が残されています。
ちなみに、現在の校舎は、1980年(昭和55年)に落成したものです。
体育館はその翌年、1981年(昭和56年)に落成しています。
屋外教室ひだまり館
運動場は、広いだけでなく照明施設までついています。
気になる場所があるので行ってみました。
壁のない建物は、屋外教室ひだまり館といいます。
学校だけでなく保護者や地域の方が和気あいあいと交流する場となることを願って建てられたものです。
「ひだまり館」という名前は、当時2年生の生徒さんが考えたというから驚きです。
ニワトリのネーミングと絵が秀逸
校庭には、動物の飼育小屋があります。
現役時に飼っていたニワトリには、一羽一羽に名前がつけられていました。
観察力とネーミングセンスが光る説明が残っています。
その画力も注目点です。
なまえ | あだな | とくちょう |
オナガ | ナガ | おが長い |
ラルゴ | ラル | 首すじに黒点 |
オジロ | ジロ | 尾が白い |
ポレポレ | ポレ | 丸っこい 砂あそびがすき よく天じょう近くにとまっている |
オグロ | グロ | 尾が黒い とさかが大きい 男前 |
ブッチーノ | ブッちゃん | ポレポレより茶色がこゆい |
オタン | タン | とさかがたれている よく木にとまっている オナガにくらべて尾が短い |
フィー | フィー | 目つきが悪い 首すじの黒いもようがない |
女王 | 女王 | 足がはやい 尾が黒い |
沿革
1878年(明治11年) | 田浦村立小田浦小学校として創立 |
1887年(明治20年) | 田浦尋常小学校小田浦支校へ改称 |
1897年(明治30年) | 田浦尋常小学校と合併 |
1949年(昭和24年) | 田浦工場和田寮を改築し、小田浦分校となる |
1961年(昭和36年) | 田浦町立小田浦小学校として独立 |
2005年(平成17年) | 芦北町立小田浦小学校へ改称 |
2008年(平成20年) | 芦北町立田浦小学校に統合し閉校 |
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