庚申塔 人吉球磨地域に約600基が現存

庚申塔(こうしんとう)というのは、庚申信仰に基づいて建てられた石塔のことです。

庚申信仰とは中国の道教の教えです。

相良村四浦晴山地区の庚申塔

道教

道教というのは、 中国で自然発生した多神教的宗教 です。

八百万の神を信仰する神道と多神教という意味では共通しますが、神道は日本独自のものです。

大昔、神道も道教に少なからず影響を受けていますが、根本の教えは別物です。

錦町一武土屋観音堂の庚申塔

道教は、仏教や儒教とともに中国の3大宗教といわれます。

仏教や儒教とも違う教えになります。

人吉市井ノ口町の庚申塔

庚申信仰

庚申信仰は道教の「 三尸説 (さんしせつ)」をもとにしています。

人間の体の中には「三尸(さんし)虫」という虫がいて、悪事を働くというものです。

三尸 は宿主が死ぬと自由に遊び回れるため、早く宿主に死んでほしいと望んでいます。

旧暦の60日に一回、庚申(かえのさる)に日に 三尸 は宿主の体内を抜け出せます。

あさぎり町岡原北の庚申塔

三尸 は天帝に宿主の日ごろの行状を報告する役目があり、その報告によっては宿主の寿命を短くすることができるというのです。

そして、翌朝目が覚める前には宿主の体内に戻っているといいます。

ようするに、 三尸 は 宿主の寿命を縮めるために、天帝にあることないこと告げ口すると考えられました。

あさぎり町深田地区の庚申塔

庚申待(こうしんまち) と庚申塔

庚申の日の前日から集団で徹夜すれば、 三尸 は 体内から抜け出せないといいます。

庚申信仰では、庚申の日の前日から徹夜の集会をしていました。

この集会のことを庚申待(こうしんまち)といいます。

そして、この更新待を、3年18回続けた記念に庚申塔を建てていたようです。

五木村宮園地区の庚申塔

まとめ

日本において、古くは838年の文献に記載があることから、そのころから庚申信仰は全国に広がっていったと考えられています。

庚申信仰が広がっていく過程で、神道や仏教などの信仰が加わり、江戸時代には全国の農村などで大流行したということです。

あさぎり町岡原北、伊勢皇大神宮の庚申塔

人吉球磨地域の庚申塔は、ほかの地域に比べ、巨大で多様な形態をしているといいます。

その数も、 約600基 が人吉球磨地域に現存していて、 当時の庶民の精神的、経済的な豊かさを示しているといわれています。

庚申塔と庚申信仰は、日本遺産人吉球磨の構成文化財37番となっています。