百済来地蔵堂 百済の官僚となった日本人「日羅」との関係

百済来地蔵堂があるのは、熊本県八代市坂本町百済来です。

百済来地区といえば、名前の由来となった、百済の官僚「日羅」抜きには語れません。

百済来地蔵堂は、「日羅」にちなむ木造延命地蔵菩薩坐像が安置されるお堂です。

日羅とは

「日羅」なる人物は、6世紀に朝鮮半島にあった百済の王に仕えた日本人です。

この方のお父さまは、 国造刑部靭部阿利斯登(ゆげいべのありしと)といいます。

なんと、百済来地区出身の武士だった方です。

当然、「日羅」の出身地は、この地区ということです。

日羅は百済で、極めて高い官位を与えらえた官僚でした。

暗殺

百済に通じる日本人として、日本にとっても重要な人物でした。

583年、天皇から要請で日本に帰国し、朝鮮半島政策を担当しました。

内容は 国民生活の安定と富国強兵の計で、大化の改新や近江令、大宝律令の制定に関わったといわれています。

しかし、百済にとって「日羅」は、自国の強みも弱みも握った人物です。

敵対政策を、天皇に進言していると考えられていました。

百済は、「日羅」暗殺のため、刺客を日本に送り込みます。

その結果、大阪の難波で、暗殺されてしまいました。

後に、出身地に移葬されたとされています。

ご本尊

百済来地蔵堂のご本尊は、木造延命地蔵菩薩座像です。

572年に、「日羅」が、百済国より父・国造阿利斯登 (ゆげいべのありしと) に贈ったものと伝えられています。

ご本尊は、日羅の末裔に伝えられていました。

地蔵堂を建立したのは、770年のことでした。

百済来地蔵堂と仏像ほか、一連の建造物は、八代市の有形文化財に指定されています。

境内

百済来地蔵堂の入り口です。

正面にお堂が見えます。

地蔵堂は770年の建立ですが、長い歴史の中で幾度も修造されています。

入り口の手水です。

いくつもの石碑が、時代を感じさせます。

日羅公のお墓です。

お堂に入ってお参りできるようです。

ご本尊の両脇にも仏像があります。

両脇はどちらも立像です。

遠くから参拝にいらっしゃっています。お礼参りの言葉が多かったのが印象的でした。

お堂から見た参道の景色です。

「百済来」の地名も、「日羅」と深いかかわりを持っているようです。

場所 熊本県八代市坂本町百済来下