水俣城(みなまたじょう)は、熊本県水俣市にあった中世城です。
地政的に周辺諸国の支城として、幾度も城主が入れ替わっています。
相良領時代
水俣城は、水俣を本拠として葦北郡一帯を治めていた、水俣氏が築城したといわれています。
1460年には人吉の相良氏、1559年には伊佐の芝刈氏が落城していますが、翌年には相良氏が再入場しています。
1581 年には薩摩の島津氏が北上したのに対し、相良氏の家臣で城主となっていた犬重頼安が抗戦しています。
圧倒的な大軍を前に、相良義陽は水俣城を島津氏に割譲することになります。
そして廃城へ
豊臣秀吉の九州討伐により、島津氏が撤退すると 1587年には代官所となっています。
1598 年には唐津の寺沢氏、翌年には宇土の小西氏、さらに翌年には熊本の加藤清正と次々に領主が変遷しています。
入口の田平加藤神社は、清正公が没した1611年に創建したものです。
1612年、細川藩時代に水俣城は、一国一城令で廃城となっています。
戦国武将の争乱のなかで、幾多の戦いが繰り広げられ、城主が目まぐるしく変わった城でした。
当然、争乱がおこるたび、水俣城攻防のため多くの武士が戦死しています。
武士たちの怨念が残っているのか、周辺は霊の目撃スポットとなっています。
目撃される霊は、いずれも戦国武将を想起させるものといいます。
城山公園
水俣城跡周辺は城山公園として整備されています。
訪れた日は水俣第一中学校の体育大会の日で、城山公園は臨時駐車場となっていて、たくさんの人がいました。
実際のところ、当時をしのばせるものはほとんど残っていません。
グランドに石垣の一部と井戸跡がある程度です。
本丸跡には石碑とベンチがありますが、木々に覆われています。
暗くなってから訪れると、とてもスリルがありそうです。
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