宮内小学校は、かつて熊本県上益城郡甲佐町にあった公立小学校です。
緑川沿いの急峻な土地に開かれた、学校跡がそのまま残されています。
宮内地区
甲佐町というと、熊本市内への通勤圏内であり、ベッドタウンというイメージがあります。
しかし、町域は九州山地に含まれ、大部分が山林です。
1955年(昭和30年)までの、宮内村の村域がそのまま宮内地区となっています。
甲佐町との合併当時は2,500人ほどの、村民が住んでいました。
1989年(平成元年)までは、1,000名を越す住民がいたのですが、現在は350人ほどまでに過疎化が進んでいます。
ソフトテニス
宮内小学校では、児童数が減少したことで、チームスポーツができなくなります。
そこで力を入れたのがソフトテニスでした。
1989年(平成元年)に創部し、翌年には全国大会に出場しています。
以後、8回もの全国大会出場を誇る、熊本県の強豪校でした。
ホシドラとは?
宮内小学校のグラウンドのフェンスには「梅とポシドラの宮内小学校」という看板が掲げられています。
宮内地区が梅の産地であることは推測がつきますが、「ホシドラ」とはいったい何なのでしょう?
調べてみると、ホシドラというのは、宮内地区に伝わる雨ごい踊りのことでした。
宮内小学校では、運動会で毎年踊られていました。
その意志は、統合した甲佐小学校へ引き継がれています。
宮内中学校
実は、宮内小学校には、宮内中学校が併設されていました。
1947年(昭和22年)に、甲佐中学校宮内分校として創立し、翌年には宮内中学校として独立しています。
しかし、1962年(昭和37年)には、甲佐中学校と統合し閉校しています。
創立100周年記念碑のタイムカプセル
創立百周年記念碑の中には、タイムカプセルが入っています。
1980年(昭和55年)当時のものが入っていて、50年後の2030年に開けられることになっています。
創立百周年記念碑側の斜面には、学校遺構が目白押しです。
国旗掲揚台です。
恐竜のオブジェ、モデルはミフネリュウでしょう。
ウマのオブジェは、恥ずかしそうに顔を隠しています。
宮内社会教育センター
宮内小学校は、開校時の姿をほぼ残しています。
校舎の一部が、宮内社会教育センターとして使われる現役施設です。
2017年(平成29年)からは、甲佐町民俗資料館を併設しています。
沿革
宮内小学校
1874年(明治7年) | 上揚小学校創立 |
1875年(明治8年) | 坂谷小学校創立 |
1885年(明治18年) | 2校が合併し入江小学校創立 |
1887年(明治20年) | 尋常入江小学校へ改称 |
1893年(明治26年) | 宮内尋常小学校へ改称 |
1907年(明治42年) | 宮内尋常高等小学校へ改称 |
1941年(昭和16年) | 宮内国民学校へ改称 |
1947年(昭和22年) | 宮内村立宮内小学校へ改称 |
1955年(昭和30年) | 甲佐町立宮内小学校へ改称 |
2009年(平成21年) | 甲佐町立甲佐小学校へ統合 閉校 |
宮内中学校
1947年(昭和22年) | 甲佐町立甲佐中学校宮内分校創立 |
1948年(明治23年) | 宮内村立宮内中学校として独立 |
1955年(昭和30年) | 甲佐町立宮内中学校へ改称 |
1962年(昭和37年) | 甲佐町立甲佐中学校へ統合 閉校 |
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