野原小学校 まぼろしのダム水没

野原小学校は、かつて熊本県球磨郡相良村にあった村立小学校です。

ダムにより廃校

川辺川ダム建設予定地のわずか、数百メートル上流にあった小学校です。

廃校となった理由は、川辺川ダムにより、湖底に沈むためでした。

小学校の代替地移転も検討されたのでしょうが、水没予定地にあった校区の住民は散り散りに移転してしまいました。

その結果、野原小学校の伝承を断念し、相良北小学校へ統合されています。

遺構

廃校記念碑は、小学校のもとあったところから、山の斜面にスライドして建てられた、上四浦地区集落センターの敷地に造られました。

おそらく、野原小学校が移転するなら、ここだったのでしょう。

校門の門柱と、学校に展示してあったSL、C57の動輪も、集落センターへ移されています。

廃校記念碑では、すでに湖底に沈んでいる体で書かれています。

そして、集落センターの奥には、ダム工事の現場事務所の遺構が残ります。

長いこと使われていないみたいです。

でも、建物の中には物が置かれています。

遺構ではなく、休止中なのかもしれません。

ダム工事再開の可能性は残っているのでしょうか?

上四浦地区集落センター

場所 熊本県球磨郡相良村大字四浦西4522−2

本当の場所

川辺川ダム本体工事は未着工です。

まだどこも水没していません。

野原小学校のあった場所へ行ってみます。

相良側入り口です。

五木側入り口です。

ダム本体入り口付近は、通行止めになっています。

そりゃそうですね。住民の方は移転済みでした。

水没予定地に用があるのは、役所か工事関係の方だけになっています。

私のようなもの好きが侵入しないように、ガードされています。

野原小学校のあったところは、盛土がされ、移転前の形状とは変わっています。

もちろん、建物も解体され、遺構らしきものは何も残っていません。

それでも現地を見てみたかったです。

1976年(昭和51年)の航空写真です。

中央に野原小学校が見えます。

こちらが現在の衛星写真です。

マークのあるとこらへんが、学校跡です。

そのうち、旧道が解放されるかもしれません。

場所 熊本県球磨郡相良村大字四浦西

沿革

1896年(明治29)四浦尋常小学校野原分教室として創立
1947年(昭和22年)四浦小学校野原分校へ改称
1961年(昭和36年)相良村立野原小学校として独立
1994年(平成6年)相良村立野原小学校を廃校

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