小川小中学校は、かつて宮崎県児湯郡西米良村大字小川にあった村立学校です。
小学校と中学校が同居というか、ひとつの学校だったようです。
小中一貫教育みたいなものかもしれません。
小川地区
西米良村の小川地区は、米良の荘の領主である米良氏が、居城とした「小川城」があった地区です。
江戸時代の小川村(現在の西米良村)は、人吉藩に属しており、球磨郡との関係の深い地域でした。
そのため、紀伊国の米良氏と区別するにあたり、肥後米良氏と表現されることがあります。
小川城
米良氏は、江戸時代初期には、領内の村所(むらしょ)や銀鏡(しろみ)に居所を構えていました。
江戸時代中期となる承応(じょうおう)年間(1652年~1655年)に、小川に城を構えました。
小川城は、以後幕末まで、8代・約200年に渡って米良氏の居城となりました。
明治になり小川城の敷地内には、小川小学校が建てられています。
小川校
国道219号線から、県道316号線へ入ります。
国道219号線から県道316号線へ入る目印はこの建物です。「憩いの館」といいます。
校門へ続く石段。まさに城です。
生徒たちは、この石段を毎日通学していたのでしょう。
表札はしっかり残っています。
創立120周年の記念碑です。
記念碑まで建ててもらえる菊池先生とは、どんな先生だったのでしょう?
木造の建物は倉庫のようです。旧校舎の一部を利用したのかもしれません。
校舎は軽量鉄骨造2階建てです。
閉校となったのは、1989年(平成元年)のことです。
小学校は越野尾小学校へ統合されています。
中学校は西米良中学校へ統合されました。
校舎の1階は、倉庫のような使われ方をしているようです。
玄関正面の額は、校歌のようです。
「小川校校歌」と書いてありましたので、小中ともに同じ校歌だったのではないでしょうか。
校長先生も、小中とも同じだったのでしょうか?
校庭から見た、小川集落です。
麓の米良神社のとなりに、立派な集会場がありました。
このあたりにも城の片鱗があります。
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