大島分校は、かつて熊本県八代市にあった松高小学校の分校です。
八代海に浮かぶ、離島の学校でした。
大島地区
大島は、もともとは八代海に浮かんでいた島です。
球磨川河口の北岸で、八代外港の北側に位置しています。
大島は八代港の整備により、姿が一変しています。
本土と大島の間は、八代港干拓で陸地となり、大島は九州本土の一部となりました。
大島入口の干拓地には、燃料会社の油槽所が立ち並んでいます。
八代平野の干拓
干拓というのは、海を堤防で仕切って排水し、海底の肥沃な土地を農地として利用することです。
八代平野では、1600年代初頭から干拓が行われてきました。
江戸時代の海岸線は、現在よりも4㎞から6㎞内陸部にあり、八代平野の2/3が干拓地といわます。
八代港干拓は、1961年(昭和39年)から行われています。
現在の八代港がある場所は、それまでは八代海の海底でした。
松高小学校
大島分校の本校である松高小学校へ行くには、5㎞はど市中心部に向かって走ります。
松高小学校は、八代市でも最大の小学校で800名を越す子供たちが通っています。
近くには、県南の進学校が集まる、八代市の学園地域に位置します。
校舎
大島分校は、現在大島町公民館として利用されています。
分校当時の写真を見ると、校舎は2棟ありました。
残っているのは、敷地の北側(奥の方)にあった校舎です。
南側にあった棟は解体されています。
記念碑
まずは、入口にある校名が刻まれた立派な石碑です。
向って右側が創立百周年記念碑で、左側が閉校記念碑です。
1980年(昭和55年)に百周年を迎えています。
運動場
西側の運動場の位置は、往時のままです。
携帯電話のアンテナが建てられています。
こちらの機材は、何かわかりませんでした。
希少な木造かわらぶきの体育倉庫です。
木造かわらぶきの体育倉庫が現在も残っている学校跡は、ほとんど見かけなくなりました。
フェンスは台風で倒れても、修復は後回しです。
木登りして遊んでいた形跡がまだ残っています。
沿革
1880年(明治13年) | 創立 |
1941年(昭和16年) | 松高国民学校大島分教場へ改称 |
1947年(昭和22年) | 八代市立松高小学校大島分校へ改称 |
2007年(平成19年) | 休校 |
2008年(平成20年) | 閉校 |
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