大岳小学校は、かつて熊本県宇城市にあった公立小学校です。
宇城市が発足する2年前、旧三角町時代に閉校となっています。
旧大岳村唯一の小学校
旧大岳村は、宇土半島の中南部に位置していました。
背後に大岳山(478M)がそびえ、南側には不知火海(八代海)が広がります。
そのため、集落は谷ごとに形成されています。
地形上、明治時代初頭には6つの小学校が創立しました。
しかし、明治中期には1つの小学校へ統合されています。
大岳小学校が、旧大岳村唯一の小学校でした。
戦後の学制改革後は、大岳中学校を併設しています。
しかし、大岳中学校はわずか11年で幕を閉じています。
広大な運動場
校門はあるにはありますが、門柱には木が茂り写真が撮れませんでした。
まず驚いたのは、メチャクチャ広い運動場です。
校舎がはるか遠くに見えます。
運動所の周囲には、大木が茂ります。
これがいい感じで、木陰をつくってくれます。
記念碑
閉校記念碑です。
運動場が広いので、必然的に記念碑も大きくなります。
台座には校歌の碑が埋め込まれています。
両隣には、ドット絵的な校舎の写真と・・・
木造時代の校舎の写真がありました。
裏面には、尋常小学校時代の校歌まで埋められた、豪華仕様です。
創立100周年記念碑は、危なく見落とすところでした。
100周年記念碑も、周囲のカイヅカイブキとツゲノキとセットの豪華版です。
校庭の建造物
野球やソフトボールのバックネットです。
体育倉庫が見えます。
校舎に近づいてきました。
さっき見た体育倉庫です。
絶対に家庭の庭には植えない木を、たくさん見ることができます。
振り返ってみて、改めて運動場の広さを感じています。
運動場にせり出しているのは、プールでその先が体育館です。
プールを囲むフェンスです。
運動場より一段高い場所に、学校の主要施設が建てられています。
校舎側にも創立100周年記念建造物がありました。
主要施設
大岳小学校の中枢部に入ってみます。
体育館の玄関です。
プールものぞいてみました。
植木が伸びて、校舎が見えません。
玄関前の校庭です。
玄関前の円形植栽です。
玄関です。
玄関前の植栽、ソテツとかシュロとか暖かい気候を好む木が植えられています。
大岳小学校の座標を示す石碑です。
手洗い場と足洗い場です。
裏にも校舎があります。
2棟の校舎をつなぐ部分にも入口があります。
交通安全の掲示があるので、子供たち用の玄関だったのでしょう。
裏側にある校舎から、体育館の全景を見ることができました。
理科室をのぞいてみました。
裏側(北側)の校舎のさらに裏に抜けてみました。
ちなみに、大岳小学校の児童数のピークは、1960年(昭和35年)です。
当時は、345名の生徒が通い、10学級を有していました。
沿革
大岳小学校
1874年(明治7年) | 大口と手場に小学校創立 |
1875年(明治8年) | 里浦に小学校創立 |
1882年(明治15年) | 底江、御船、古場に小学校創立 |
1891年(明治24年) | 大口、手場の2校を統合し大岳尋常小学校となる 底江、御船の2校を統合し大岳尋常小学校浜出張教場となる 里浦、古場の2校を統合し大岳尋常小学校里浦支校となる |
1892年(明治25年) | 大岳尋常小学校本校を大岳東部尋常小学校へ改称 大岳尋常小学校浜出張教場を大岳中部尋常小へ改称 大岳尋常小学校里浦支校を大岳西部尋常小学校へ改称 |
1898年(明治31年) | 3校を統合し大岳尋常小学校へ改称 |
1903年(明治36年) | 現在地へ移転 |
1919年(大正8年) | 大岳尋常高等小学校へ改称 |
1941年(昭和16年) | 大岳国民学校へ改称 |
1947年(昭和22年) | 大岳村立大岳小学校へ改称 |
1955年(昭和30年) | 三角町立大岳小学校へ改称 |
2003年(平成15年) | 三角町立青海(せいかい)小学校を新設し郡浦小学校と統合 閉校 |
大岳中学校
1947年(昭和22年) | 大岳村立大岳中学校創立 |
1955年(昭和30年) | 三角町立大岳中学校へ改称 |
1958年(昭和33年) | 三角町立青海(せいかい)中学校を新設し郡浦中学校と統合 閉校 |
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